極私的映画案内

新作、旧作含め極私的オススメ映画をご案内します。時々はおすすめ本も。

ブルックリン

ふたつの故郷

1850年代初頭、
エイリシュ(※1)アイルランドの街エニスコーシー(※2)で母親メアリーと姉ローズと暮らしていた。
一家の大黒柱は、
エイリシュとは少し歳の離れた姉ローズだ。
エイリシュは偏見だらけで意地の悪いミス・ケリーの食料品店で週末だけ働いてはいるが、
この街では他にいい仕事がないのが現実。
エイリシュの将来を考えたローズは、
寂しさをこらえ、彼女を新天地アメリカへ送り出すことにする。

荒れた大西洋の航海を経て、エイリシュの新たな住処となったのはアイルランドからの移民が多く暮らすニューヨーク、ブルックリン。
同郷の女性ばかり暮らす寮の管理人はミセス・キーオ。
勤め先はブルックリンの高級デパートだ。
新たな土地、新しい人々。
新たな環境になかなか馴染めないエイリシュはホームシックにかかり、母親や姉ローズからの手紙を繰り返し読んでは涙にくれていた。
そんなある日、彼女は職場でも突然泣き出してしまう。
心配した上司ミス・フォルティーニは彼女に休憩をとるように言い、身元引受人フラッド神父が呼ばれる。
エイリシュの元を訪れた神父は、
彼女にある提案をする。
夜間の大学で簿記を勉強しないか、と。
試験に合格するという目標が出来た彼女は少しずつブルックリンでの暮らしを楽しむことが出来るようになる。

そんなエイリシュに訪れたのは、
イタリア系の青年トニーとの出会いだった。

(※1原作では、確か“アイリーシュ”と訳されていたのだが、発音を聞くと“エイリシュ”の方が正しいかもしれない。)
(※2アイルランドのエニスコーシーは、原作者コルム・トビーンの出身地)


同じ移民でもアイルランド人は既にコミュニティがしっかりあったということもあるし、
フラッド神父という身元引受人もいたし、
勤め先も確保されていたし、
同郷の女性たちが暮らす寮もあったエイリシュの境遇はとても恵まれたものだった。
飛行機での移動が当たり前で、
電話もメールもスカイプも通信手段もひとつではない現代と比べると、当時のアイルランドとアメリカの距離感はまったく違うものだろう。
しかし、生まれ育った故郷や家族から遠く離れた土地でたったひとりで新たな人生を築こうとする人の心細さや不安な気持ちは、時代は変わっても変わらないもの。
だからこそ、私たちはエイリシュの期待や不安、戸惑いに共感出来る。

トニーとの出会いを経て、ブルックリンという土地に確かに根付きつつあったエイリシュの人生。
しかし、心の支えだった姉ローズの死によって、
彼女の人生にもうひとつの選択肢が現れる。
故郷アイルランド
そして、地元の資産家の息子ジムだ。

アメリカを離れる前に、
エイリシュの選択は既になされた筈だった。
しかし、その時にはまだジムは選択肢ではなかった。
思い込みから敬遠していたジムは実は素晴らしい青年で、地元で職も得られそう。
しかも、母親も暗に彼との結婚を望んでいるとあっては、「この状況がアメリカに行く前だったら」と
エイリシュが悩んだとしても、それは無理もない。
ジムを選べば、母親をひとり残してアメリカに帰らなくてもすむのだ。

一見、エイリシュがトニーの元に戻ることを選ぶのは、ミス・ケリーの意地悪な忠告がきっかけになったように見えるが、彼女は親友ナンシーの結婚式で自分はトニーと結婚したんだということをしっかり思い出したはずだ。
エイリシュの人生は新天地アメリカ、
トニーと共にあることを。
そう、既に選択はなされたのだ。
アメリカに戻る船上で初めてアメリカに渡る少女に見せる彼女の姿は大人の女性のそれだ。
エイリシュはアメリカで
少女から大人の女性へと成長したのだ。

エイリシュはまだ若い。
トニーとの人生の中で時折もうひとつの選択、
故郷アイルランド、そしてビルの面影が胸をよぎることもあるかもしれない。
しかし、どちらを選んだとしても、
彼女はもうひとつの選択を胸に生きていくのだと思う。

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●ブルックリン/Brooklyn
(2015 アイルランド/イギリス/カナダ)
監督:ジョン・クローリー
原作:コルム・トビーン
脚本:ニック・ホーンビィ
撮影:イヴ・べランジェ
衣装:オディール・ディックス=ミロー
出演:シアーシャ・ローナンエモリー・コーエン,ドーナル・グリーソン,ジム・ブロードベンド,ジュリー・ウォルターズ,フィオナ・グラスコット,ジェーン・ブレナン,アイリーン・オイヒギンス,ブリッド・ブレナン,エミリー・ベット・リッカーズ,イヴ・マックリン,ノラ=ジェーン・ヌーン,ジェシカ・パレ

原作を先に読んでから映画を観るとどうしても物足りなさを感じてしまうことが多い。
今作でも脚本のニック・ホーンビィはもちろん原作を端折ってはいるが、それがとても的確だったとみえ、
まったく気にならなかった。
多くの賞に絡む高評価も当然のいい仕事ぶりだ。
ちなみに、最後のシーンは原作にはない。
原作の『ブルックリン』は2009年、
コルム・トビーン54歳の時の作品。
中高年のおじさん作家が若い女の子の心情をこんなに細やかに書けるなんて凄いなと思ったのだが、
コルム・トビーンはゲイをカミングアウトしていて、
その辺りはストレートのおじさん作家とは違うのかもしれない。



原作を読んでいる時からエイリシュにはシアーシャ・ローナンがぴったりだと思ってはいたが、
やっぱり彼女にぴったりだった!
当初エイリシュ役には『キャロル』で同じくデパート・ガールを演じていたルーニー・マーラが考えられていたらしいが、シアーシャで正解。
残念ながら、オスカーはブリー・ラーソンにさらわれたが、彼女が獲ってもおかしくなかった。
少女から大人の女性へ、今の彼女でなければ演じられなかった役だし、これは間違いなく彼女の代表作の一本になるはずだ。



エイリシュを悩ますふたりの男。
トニーを演じるのは、エモリー・コーエン
原作の小柄というトニーの特徴も活かしてくれて嬉しい。

そして、もうひとりジム役は、売れっ子!
ドーナル・グリーソン(父ブレンダン・グリーソンにはあんまり似ていない)。
アンナ・カレーニナ』で観た時から気にはなっていたけど、こんなに売れっ子になるとは!
イケメン過ぎないのが、どんな役でも演じられる理由だと思う。


この時すでにローズは自分の病気を知っていたのかもと思うと切ない。


ミセス・キーオと同居人の面々。
意地悪なようでいて、間違いなくエイリシュの異国での慣れない暮らしの支えになったのが彼女たち。
パスタの食べ方もレッスンしてくれた。


そして、もうひとり忘れられないナイス・キャラがトニーの生意気な弟、フランキー。
こういうあまり出番の多くないキャラクターもみんな魅力的だった。


シアーシャが纏う50年代ファッションも見どころのひとつ。
衣装は、オディール・ディックス=ミロー。
エイリシュがキチンと同じ服を着回しているところがポイント高し。

このビュジュー付きのニットは今着てもお洒落だし、
ギンガムチェックのスカートと合わせているのもキュート!


上はブルックリン、下はアイルランドでの着こなし。
キレイなレモンイエローのワンピース。


このブルーのワンピースも素敵。
白のバッグはレモンイエローのワンピースの時にも持ってます。



上はトニーとコニーアイランドに出掛けた時で、下は地元のビーチにジムやナンシーと出掛けた時。
なぬっ、同じコーデ?と思いきや、地元ではインナーは衿つきのブラウスにかえてましたね。


公式サイトはこちら👉映画『ブルックリン』オフィシャルサイト| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント


予告編はこちら👉シアーシャ・ローナン主演/映画『ブルックリン』予告編 - YouTube


コルム・トビーンの原作『ブルックリン』はこちら👇

ブルックリン (エクス・リブリス)

ブルックリン (エクス・リブリス)


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シング・ストリート 未来へのうた


いつもそばに音楽があった

1985年アイルランド、ダブリン。
両親のロバートとペニー、兄ブレンダン、姉アンと暮らすコナーは14歳。
コナーの部屋には今日も怒鳴りあう声が聞こえてくる。
最近両親はケンカが絶えないのだ。
そんな現実を忘れさせてくれるのは、音楽。
兄ブレンダンと一緒にお気に入りのバンドのミュージック・ビデオを流す番組「トップ・ハンドレッド」を楽しみにしている。
そんなある日、失業した父ロバートは家族を招集、
家計の緊縮を宣言し、
コナーは荒れた公立校へと転校することになってしまう。

転校初日は散々。
早々にガラの悪そうな生徒バリーに因縁をつけられ、
校長には校則で指定されている黒い靴ではなく茶色の靴を履いていたことで一日中靴を脱いで過ごすことを命じられる。
しかし、
そんな暗黒のスクールライフにひと筋の光が射す。
学校の向かいで人待ち顔の少女ラフィーナに一目惚れしたのだ。
聞けば、ラフィーナはコナーよりも一つ年上で学校には行っていないという。
彼女がモデルを目指していると聞いたコナーはまだ組んでもいないバンドのミュージック・ビデオの出演を依頼してしまう!
「彼女にはタチの悪いボーイフレンドがいるらしいよ」
コナーは学校で最初に声をかけてくれたダレンの忠告にも耳をかさず、ダレンをマネージャーに任命、
早速バンドのメンバー集めを始める。

最初に声をかけたのは、
父親がミュージシャンで、
ひと通りの楽器をこなすエイモン。
ダレンとエイモンの人脈でメンバーは無事集まり、
まずはデュラン・デュランのコピーから練習開始!
バンド名は、SYNGE STREET校にちなんで、
SING STREET!
「カバーなんてダサい」と音楽のメンターである兄ブレンダンにいわれたコナーはエイモンと一緒にオリジナル曲を書き始めるのだが。。。



今ではyoutubeで何時でも何処でもお気に入りのバンドのPVを観ることができるが、
80年代はまさにMTV全盛の時代。
コナーとブレンダンが「トップ・ハンドレッド」を楽しみにしていたように、この国でも「ベストヒットUSA」(司会:小林克也)や「ザ・ポッパーズMTV」(司会:ピーター・バラカン)といったMVを流すテレビ番組が数少ない情報源だった。
デペッシュ・モードデュラン・デュランザ・キュアー、a-ha、スパンダー・バレエホール&オーツジョー・ジャクソン
登場するバンドをリアルタイムで聴いている世代は、
曲が流れてくるだけでもう鼻の奥がツンとして涙腺が怪しくなってくる。
記憶は音楽と強く結びついていて、
その頃の曲を聴くだけで、
誰が側にいたのか、どんな場所で聴いたのか
記憶がよみがえってくる。
嬉しい時、楽しい時、落ち込んでる時、憂鬱な時、
いつでも側に音楽があった。
シング・ストリートの面々のように、
好きなバンドのファッションにだってすぐに感化されてしまう誰にでもあった時代。
大人になって初めて分かるけれど、
そういう時代の記憶が自分を作り、
その記憶が自分を支えてくれる。
そんな時は誰にでも必ずやって来る。
監督ジョン・カーニーもきっとそうに違いない。



監督ジョン・カーニーの半自伝的作品ということだが、
彼は「ただ音楽だけの物語にはしたくなかった」という。
その思いが、コナーの初恋の物語にややウェイトが置かれている(と感じる)ことに繋がっているのだろう。
80年代のアイルランド
父親ロバートが失業しコナーが公立校への転校を強いられたように失業率は20%を越え、
不況のドン底だった。
エイモンの父親はリハビリ施設に入所し不在、
本当はいい子のバリーの両親はともに酒浸りで家庭崩壊寸前。
彼等それぞれのドラマを描くことで
「ただ音楽の物語」にはならなかったはずだ。
バンドが形になっていく過程の軽快なテンポや
バンドの面々のキャラクターが
とても魅力的でチャーミングなだけに
彼等のドラマ、「友情の物語」をもっと観たかった、
というのが少しだけ残念なところ。



バンドのメンバーはみんなかわいくて、
ひとりひとりの髪をくしゃくしゃにしてハグしたいくらいだが、
中でもお気に入りは、ウサギを愛する少年エイモン。
演じているMark McKennaの父親はエイモンの父親と同様ミュージシャンで名前はなんと“エイモン”。
この映画は、ジョン・カーニーの物語であるとともに“エイモン”の物語であるのかもしれない。


最後に、最近読んだ『ハーレムの闘う本屋』(ヴォーンダ・ルイス・ミショー著。今年の高校生向けの課題図書になっている)という本の中に登場するラングドン・ヒューズの詩がこの映画にぴったりなので、紹介したい。


夢の番人/ラングドン・ヒューズ

夢見る者たちよ、
きみらの夢を残らずここへ持ってこい
きみらの心の旋律を残らずここへ持ってこい
そしたら、
それを青い雲の薄衣で包んであげよう
世間のあまりにがさついた指からわたしが守ってあげよう


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⚫︎シング・ストリート 未来へのうた
/Sing Street
(2015 アイルランド/イギリス/アメリカ)
監督・原案・脚本:ジョン・カーニー
原案:サイモン・カーモディ
歌曲:ゲイリー・クラーク,ジョン・カーニー
音楽監修:ベッキーベンサム
主題歌:アダム・レヴィーン『GO NOW』
出演:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ,ルーシー・ボーイトン,マリア・ドイル・ケネディエイダン・ギレン,ジャック・レイナー,ケリー・ソーントン,
Ben Carolan,Mark McKenna,Percy Chamburuka,Conor Hamilton,Karl Rice,Ian Kenny,Don Wycherley,Lydia McGuinness


ルーシー・ボーイトン演じるラフィーナのファッションは明らかに80年代の“マドンナ”。



コナーのお母さんペニー役のマリア・ドイル・ケネディは“バンドやろうぜ!”ムービー、マイ・オールタイム・ベストの『ザ・コミットメンツ』(1991年)でバンドのコーラス、ナタリーを演じてました。
時の流れを感じます。。。


公式サイトはこちら👉映画『シング・ストリート 未来へのうた』公式サイト

予告編はこちら👉『シング・ストリート 未来へのうた』予告編 - YouTube


👇『シング・ストリート 未来へのうた』Blu-rayはこちら


👇80年代ヒットチューンの他、
80年代テイストも絶妙なシング・ストリートのオリジナル曲もゴキゲンなサウンドトラックはこちら

シング・ストリート 未来へのうた

シング・ストリート 未来へのうた


👇ジョン・カーニー長編デビュー作『ONCE ダブリンの街角で』はこちら
公開当時、来日した主演の二人、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロバが「筑紫哲也のニュース23」で披露したパフォーマンスは今でも覚えてます。

👇“バンドやろうぜ!”ムービー、オールタイム・ベストマリア・ドイル・ケネディも出演している『ザ・コミットメンツ』のDVDはこちら

ザ・コミットメンツ [DVD]

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👇1939年、黒人が書いた、黒人に関する、黒人にとって意義ある本を扱う本屋「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」をたった5冊の本と100ドルの資金で開店。こつこつと扱う本を増やし、人々を啓蒙し、40年近くに渡り黒人社会に貢献し続けたルイス・ミショーの生涯を辿る『ハーレムの闘う本屋』はこちら

ハーレムの闘う本屋

ハーレムの闘う本屋

ホドロフスキーのDUNE


幻のSF大作の遺産

What is to give light must endure burning.
世界を照らす者は、己の身を焼かねばならない。
ーヴィクトール・E・フランクル

人生の目的(ゴール)とは何なのか?
自分を魂として昇華させること。
私にとって映画は芸術だ。
ビジネスである前にね。
絵画や小説や詩と同じように
人間の魂を深く探究する。
それが映画だ。
私が作りたかった映画。
それはあの頃LSDをやっていた人々が
ドラッグと同じ感覚をトリップせずに見られる。
人々はLSDをやらなくてもあの高揚感を味わえる。
人間の心の在り方を変える映画だ。
デューン」に対する私の情熱は果てしなく
預言書を作ろうと考えた。
私は預言書を作って
世界中の人々の意識を根本から変えたい。
私にとって「デューン」とは神の降臨だ。
芸術と映画の神の降臨だ。
ただ映画を作るだけでなく
はるかに深遠なものだ。
私が作りたかったのはとても神聖で自由で
新しい視点から精神を解放させるものだ。
自分は閉じ込められている。
そう感じていたからだ。
自我と知性を解き放ちたかった。
デューン」を作る闘いが始まった。


『エル・トポ』(1970)、『ホーリー・マウンテン』(1973)が世界中でカルト的人気を集めたアレハンドロ・ホドロフスキーは、1974年、プロデューサーのミシェル・セドゥーと共にフランク・ハーバートのSF小説『デューン 砂の惑星』の製作に取り掛かった。
脚本を完成させたホドロフスキーは、映画に携わるチームのメンバー「戦士」探しを開始した。
才能を集める天才ホドロフスキーが最初に白羽の矢を立てたのは、バンド・デシネ作家のジャン・ジローメビウスだった。
ホドロフスキーは彼を“私のカメラ”と呼び、
絵コンテが任せられた。

この「戦士」集めの過程では、
不思議な力が働いていた。
メビウスを探していると
偶然エージェントのオフィスに本人がいたり、
当時ハリウッドで特殊効果の第一人者ダグラス・トランブル(※1)に「君とは仕事できない!」と啖呵をきった後で偶然入った小さな映画館(※2)でダン・オバノンを見出したり、
招待されたパーティーで役をオファーしたいと考えていたミック・ジャガーが向こうから歩いてきたり、
まるで『七人の侍』か『ロード・オブ・ザ・リング』みたいでワクワクしてくる。
(※1『2001年宇宙の旅』の特殊効果で有名。ホドロフスキーとの面会中に40回も電話を受けた!)
(※2上映していたのは監督ジョン・カーペンターダーク・スター』1974年)

「戦士になる準備をしろ」
と父に言われ、当時12歳のホドロフスキーの息子ブロンティスは、レト侯爵の息子ポールを演じるために2年間毎日6時間の訓練で、空手、日本の柔術、素手、ナイフ、剣、あらゆる戦い方を学んだ。
幼いブロンティスにとっては辛い訓練だっただろうが、世界を変えるような映画を作るためには、
自らの腕を切ることさえ厭わない、
そういう覚悟がホドロフスキーにはあったのだ。

ホテルのホドロフスキーを訪ねてきて、
部屋に置いてあったビタミンEをその場で全部飲んでしまったレト侯爵のデヴィッド・キャラダイン
タロット本の“吊られた男”のページに書かれた「一緒に映画を作りたい」の言葉で口説かれ、
ハリウッドで一番高いギャラを要求した銀河王国皇帝サルバドール・ダリ
お気に入りのレストランのシェフを雇うことを条件に映画に出ることを承諾したオーソン・ウェルズなど、
出来過ぎと思うようなエピソードが次々に明かされる。

そして、ダリから見せられたのが、
のちに『エイリアン』のデザイナーとしてその名を知られることになるH・R・ギーガーの作品集だった。

監督のホドロフスキーをはじめ、メビウス、クリス・フォス、ダン・オバノン、H・R・ギーガー、ピンク・フロイドデヴィッド・キャラダインサルバドール・ダリミック・ジャガーオーソン・ウェルズウド・キア、そして「戦士」となるべく2年間の訓練を積んだホドロフスキーの息子ブロンティス、錚々たるメンバーが集められ、後世に残る傑作が誕生するはずだった。
しかし、映画はワンカットも撮影されることなく製作中止となった。

このドキュメンタリーを観ていて驚くのは、
まったくネガティブな印象がないことだ。
デューン』について語るホドロフスキーは実に精力的だし楽しそうで、まるでこれから取り掛かる新作について語っているかのようだ。
彼は今もまだ『デューン』に対する情熱は失っていないのだ。
一度だけ彼の表情が曇るのは、
デューン』の実現を許さなかったハリウッド式の製作システムについて語った時だ。
彼が言うように、映画製作には
心、精神、無限の力、大きな志が必要だ。
しかし、一方で予算を回収できなければ、
映画会社は映画を作り続けることができない。
その間でどうバランスをとるのか?
今も昔もその狭間で映画製作者は苦闘しているのだろう。

その後、ダン・オバノンはH・R・ギーガーと共に『エイリアン』(原案・脚本ダン・オバノン)を作り、ホドロフスキーとそのチームが創造した世界観やヴィジュアルイメージは多くの作品(※3)に受け継がれた。
幻の大作『デューン』は、“遺産”という形で生かされたのだ。
(※3『スター・ウォーズ』『ターミネーター』『フラッシュ・ゴードン』『レイダース失われた聖櫃アーク』『マスターズ 超空の覇者』『コンタクト』『プロメテウス』など)

それでも、
やっぱり、
ホドロフスキーの『デューン』が観たかった!

多分、これがこのドキュメンタリーを観た人の共通した思いではないだろうか?

実のところ、私はこれまでに新作『リアリティのダンス』(※4)を観ただけで、(ホドロフスキーの名前や作品のタイトルは知ってはいたが)他のホドロフスキー作品は観たことがなかった。
フランク・ハーバートの原作も読んだことがない。
しかし、
メビウスの絵コンテやフォスやギーガーによるビジュアルイメージ、絵コンテを使ったアニメーション、
そして何よりホドロフスキーの情熱的な語りによって大いに想像力をかきたてられた。
(※4『デューン』が頓挫した後映画から離れていたホドロフスキーは、本作をきっかけにミシェル・セドゥーと再会。『リアリティのダンス』を製作した。ちなみにミシェル・セドゥーは女優レア・セドゥーの大叔父にあたる。)

実に皮肉な話ではあるが、
「幻の傑作」が「幻」になるまでの顛末、
これが滅法面白く、感動的なのだ。




ニコラス・ウィンディング・レフンホドロフスキーのパリの自宅で見せられた「デューン」の本。絵コンテやキャラクター、宇宙船、衣装のデザインなどが収められている。


クリス・フォスによる「海賊の宇宙船」
海の底で擬態する魚のイメージ。



H・R・ギーガーがデザインしたハルコンネン城


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⚫︎ホドロフスキーのDUNE
監督:フランク・パヴィッチ
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー,ミシェル・セドゥー,H・R・ギーガー,クリス・フォス,ブロンティス・ホドロフスキー,リチャード・スタンリー,デヴァン・ファラシ,ドリュー・マクウィーニー,ゲイリー・カーツニコラス・ウィンディング・レフンダン・オバノン,クリスチャン・ヴァンデ,ジャン=ピエール・ヴィグナウ


ホドロフスキーと飼猫のフロール。
才能を集める天才ホドロフスキー
“ひとたらし”だと思う。

後にデヴィッド・リンチによって実現した『デューン砂の惑星』。
リンチの才能を信じていたホドロフスキーは観る気はなかったが、息子ブロンティスに「本物の戦士なら観に行くべきだ」諭され、いやいや観に行った。
その時のエピソードがとても正直で人間くさくチャーミングだった。



公式サイトはこちら👉映画『ホドロフスキーのDUNE』公式サイト


予告編はこちら👉映画『ホドロフスキーのDUNE』予告編 - YouTube


👇『ホドロフスキーのDUNE』Blu-rayはこちら

👇本編中、書斎の本棚に日本語版がチラッと映るアレハンドロ・ホドロフスキーの自伝『リアリティのダンス』はこちら

誘拐の掟


探偵にうってつけの名前

1991年、アル中の警官マッド・スカダーは、
警官はタダで飲めるバーで銃撃事件に遭遇し、
犯人二人を射殺し一人を負傷させた。
この事件を機にスカダーは酒を絶ち、警察も辞めた。

それから8年。
スカダーは無免許の私立探偵として生計を立てていた。
そんなある日、スカダーは断酒会で知り合った画家崩れのピーターに弟ケニーの話を聞いてやってほしいと頼まれる。
妻キャリーを誘拐され身代金40万ドルを支払ったものの殺されたケニーはスカダーは犯人を探してほしいと依頼するが、ケニーの財産が麻薬取引で成したもので、
彼は警察に頼れないのだと気付いたスカダーは、この依頼を断る。
しかし、アパートの前で待ちぶせをしていたケニーに詳しい事情を聞いたスカダーは事件の調査に乗り出すのだった。
過去の事件について調べていたスカダーは、時々図書館をねぐらにするストリートキッズTJと知り合う。
マイクロフィルムで新聞記事を探すIT音痴スカダーに対し、パソコンであっという間に類似事件の記事を探し出すTJ。
今後も警察に通報出来ない麻薬取引の関係者が狙われると考えたスカダーは、ケニーに友人知人に情報を流すように話す。

そして、事件は再び起きた。

舞台は1999年のニューヨーク。
新世紀の到来を目前にして、「2000年問題」(「Y2K問題」※2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとする問題)が世間を賑わせていた頃である。
今では、私立探偵もスマホとパソコンがなければ仕事にならないだろうが、1999年のスカダーは携帯電話も持たず、専ら公衆電話を使っているのをTJにからかわれている。
WTCもまだニューヨークの象徴として存在し、
まさに時代の節目といった時に舞台は設定されている。
原作はローレンス・ブロックの私立探偵マット・スカダーシリーズの『獣たちの墓』(1992)。
脚本も担当している監督スコット・フランクは映像化にあたり時代設定を若干変更しているが、これが奏功。
世紀末の不穏な街の空気とダークなストーリーがとてもよくマッチしている。
マット・スカダーを演じているのは、昨今すっかり“闘う父さん”として知られているリーアム・ニーソン
今作では派手なアクションこそないものの、元警官、元アル中の孤独な探偵を魅力的に演じている。

今作で特筆したいのは、
脇を固めるキャラクターと役者陣の充実ぶりである。
まずは、スカダーの“相棒”となるダンテ・カルペッパーことTJ。
とても賢いが生意気なTJだが、難病を抱え母親に捨てられたストリートキッズだ。
一見逞しく生きている彼も将来に対する不安に押しつぶされそうになることもあるだろう。
スカダーとTJ、孤独が彼ら二人を結びつけたとも言える。

そしてピーターとケニーの兄弟にもまたドラマがある。
湾岸戦争にも参加し、国の英雄だったはずの兄ピーターは帰国後学費のためにケニーとドラッグを売り始めたことからドラッグに溺れた。
一方、弟ケニーは商売もののドラッグには手を出さずビジネスを広げ財産を築いた。
そして実はピーターはケニーの美しい妻キャリーを密かに愛していた。
出来の悪い兄と出来のいい弟という図式は珍しくはないが、今作ではこれがサイドストーリーとして効いているし、悲劇の引き金にもなっている。
そして、重要なのは「悪役」である。
犯人を演じるデヴィッド・ハーバーとアダム・デヴィッド・トンプソンは猟奇的な犯罪を引き起こす犯人の狂気を十分に感じさせた。
モラルに反する趣味を持っていたがために犯人に利用される墓地の管理人ジョナス(オラフル・ダッリ・オラフソン)の弱さも哀しく忘れがたい。
その他、娘を誘拐されるドラッグディーラーユーリ(セバスチャン・ロッシェ)、登場シーンが印象的なその娘ルシア(ダニエル・ローズ・ラッセル)、被害者の婚約者ルーベン(マーク・コンスエロス)、スカダーのアパートの管理人ハウイー(エリック・ネルセン)など登場シーンは少ないものの印象的でしかも映画の世界観を壊さない存在感が絶妙。

原作との違いで言えば、原作ではシリーズを通じてのヒロインとスカダーのラブストーリーが大きな比重を占めているそうだが、映画ではばっさりカットされている。
映画でも当初女性キャラクターは存在しており(原作では男性キャラクター)撮影もされたそうだが、最終的にはすべてカットされたそうで、これは英断だったと思う。

近年アクションスターとして知名度を上げているリーアム・ニーソンだが(実際今作も彼の知名度で大分稼いだとのこと)、
元々は演技派として名を上げた人だし、
年齢も今年で64歳。
迷走しつつある某シリーズよりも、
こちらの続編を製作しシリーズ化してほしいもの。
幸いローレンス・ブロックも今作に対しては好意的で、
続編でもマット・スカダーはリーアム・ニーソンに演じてほしいと語っている。

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●誘拐の掟/A Walk Among the Tombstones
(2014 アメリカ)
監督・脚本:スコット・フランク
原作:ローレンス・ブロック『獣たちの墓』
出演:リーアム・ニーソンダン・スティーヴンス,デヴィッド・ハーバー,ボイド・ホルブルック,ブライアン・“アストロ”・ブラッドリー,ラウラ・ビルン,ダニエル・ローズ・ラッセル,アダム・デヴィッド・トンプソン,エリック・ネルセン,オラフル・ダッリ・オラフソン,マーク・コンスエロス,セバスチャン・ロッシェ,ホイットニー・エイブル,マリエレ・ヘラー

脚本も担当するスコット・フランクは今作が監督としては二作目。
これまでは主に脚本家としてのキャリアを築いてきた。
中には、『ウルヴァリン:SAMURAI』なんていう残念な仕事もあるが、エルモア・レナード作品を脚色した『ゲット・ショーティ』『アウト・オブ・サイト』は好きだった作品。
今後の監督作品も注目していきたい。

マット・スカダー(リーアム・ニーソン)の“相棒”TJを演じたのは、ブライアン・“アストロ”・ブラッドリー。
1996年生まれの今年20歳の彼は「The X Factor USA 」で注目されラッパーとしての顔も持っている。
続編が製作されるなら、彼にも是非とも続投してほしいが、撮影からは約三年。随分大人になってしまったに違いない。


ダウントン・アビー』のマシュー役で人気を得たダン・スティーヴンス。最近は活躍の場を映画にシフトしているようだが、今後も楽しみな英国人俳優の一人。


俳優にとってアル中やヤク中のキャラクターを演じることはチャンスだと思う。
ボイド・ホルブルック。
彼の名前も今作でしっかり覚えました。
ちなみに彼はエリザベス・オルセンの元婚約者。


公式サイトはこちら👉映画『誘拐の掟』オフィシャルサイト


予告編はこちら👉誘拐の掟 - 映画予告編 [ リーアム・ニーソンvs.殺人鬼 ] - YouTube

👇『誘拐の掟』Blu-rayはこちら

👇ローレンス・ブロックの原作はこちら

ルーム


WELCOME TO THE WORLD!


悲しいことに誘拐監禁事件は世界中で起きている。
私たちが事件について知ることになるのは、
何らかの形で事件が明らかになった時だ。
無事発見という望ましい形で解決したとしても、
私たちが被害者の“その後”を知ることはほとんどない。
第三者にとっては犯人が逮捕されれば、
事件はそこで終わりである。
しかし、被害者やその家族や親しい人間にとっては、
むしろそこからが闘いである。
被害者はトラウマとの、家族や周囲は傷付いた被害者とどう接し、どう受け入れるかの闘い。
それは、監禁されていた時間、過去とどう向き合うかの闘いなのだ。
そこで、ひとりだけ違う闘いを強いられるのが、
監禁中に生まれた子どもである。
閉ざされた世界で育った子どもにとって“外の世界”は、空も雲も風も雨も、母親以外の人間、すべてのものがはじめて目にするものだ。
彼らが新たな世界にどう反応するのか?
社会に順応できるのか?
どんな戸惑いがあるのか?
それを想像することはとても難しい。

生まれた時から小さな“ルーム”でマー(ママ=ジョイ)と二人で暮らすジャック。
今日、ジャックは5歳になった。
誕生日のケーキを焼くマーとジャック。
でも、キャンドルはない。
夜中に“ルーム”にやって来るオールド・ニックは何でも差し入れてくれるわけではないのだ。
キャンドルがないケーキなんか誕生日じゃない!
とぐずるジャック。
ジャックはマーに、“ルーム”の中のものは“ホンモノ”、テレビの中のものは“ニセモノ“と教えられていた。
でも、ジャックももう5歳。
マーは、自分がジョイという名前であること、
七年前オールド・ニックに誘拐され“ルーム”に閉じ込められたこと、
“ルーム”の外には“本当の世界”があることを初めてジャック話して聞かせる。
そんなこと嘘だ!と混乱するジャックだったが、
マーはいつも読み聞かせていたモンテクリスト伯の脱出をヒントにしてジャックを“ルーム”から脱出させようと計画する…。

無事脱出に成功したジョイとジャックだったが、
ジョイは七年の間の変化に直面していた。
七年の間に両親は離婚。母親は再婚、父親は外国に引っ越していたのだ。
ジャックを守るという強い決意が、
“ルーム”の中でのジョイを支えだった。
しかし、生還してその緊張感は途切れてしまった。
ジャックの存在を受け入れることができず直視出来ない父親
“ルーム”以外の世界を知らずに育ったジャックは“ルーム”に戻りたいとジョイに訴える。
監禁され奪われた時間や戻ってきた世界の変化という現実にあらためて向き合うことになったジョイは次第に心の安定を失っていく。

楽園のはずだった外の世界で待ち受けていた厳しい現実。
しかし、ジャックにとってはすべてが“はじめまして”の世界。
お日様の光、髪をなびかせる風、ぽっかり雲が浮かんだ空、ヒンヤリとした空気、おばあちゃん、おじいちゃん、義理のおじいちゃん。
戸惑いながらも少しずつ外の世界に馴染んでいくジャックの姿が物語の救いであり、この新たな世界でもまた違った形でジャックがジョイを支えることになる。

ジョイにとっては忌まわしい記憶と切り離せない場所。
ジャックにとってはマーと二人で暮らした幸せな記憶の場所。
それが、“ルーム”。
再び訪れた“ルーム”にジャックがさよならを告げた時、二人にとってはじめて“ルーム”は過去のものになる。

ジョイのトラウマが完全に消えることはないかもしれない。
この先ジャックは自分がどのようにしてこの世に生を受けたのかという辛い現実にぶつかるだろう。
二人の闘いはまだ終わったわけではないのだ。
その闘いは孤独な闘いになるかもしれない。
でも、もしも私たちに出来ることがあるとすれば、
それはジョイが戻ってきた世界、ジャックがはじめて出会う世界が素晴らしいものであるように(あり続けるように)祈り、自分に出来ることをすることなのだ。

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⚫︎ルーム/Room(2015アイルランド/カナダ)
監督:レニー・アブラハムソン
原作・脚色:エマ・ドナヒュー
出演:ブリー・ラーソン,ジェイコブ・トレンブレイ,ジョアン・アレン,ウィリアム・H・メイシー,トム・マッカムス,ショーン・ブリジャース

特に前半アップのシーンが多いのは、ジャックの視点でストーリーを見せるためだろう。
原作は全編ジャックの一人称でストーリーが進む。
後半、ジャックの世界が少しずつ広がっていくに従って、アップのシーンは少なくなっていく。

ラストシーン。
当初、プロダクションデザイナーはこのシーンで雪(人工の雪)を降らせたかったらしいのだが、それは予算の関係で諦めざるを得なかった。
しかし、当日撮影を始めると、
ホンモノの雪が降りはじめた、とのこと。

「はじめまして、世界!」
この作品は、ジョイを演じたブリー・ラーソンにオスカーをはじめ数多くの賞をもたらしたが、やはりジャックを演じたジェイコブ・トレンブレイ君の演技抜きには成立しなかっただろう。
彼のこの演技を引き出したということだけでも、監督レニー・アブラハムソンは賞賛に値するのでは?


公式サイトはこちら👉映画『ルーム ROOM』 公式サイト TOP

予告編はこちら👉映画『ルーム』予告編 - YouTube


映画から観るか?原作から読むか?
これは常に悩ましい問題だが、今回は先に原作を読んでいて良かった。
“ルーム”の中の様子はイメージ通りだったし、映画では描かれなかった部分(事情)も知っていることで、まるで二人に近い人間になったように感じられた。


👇エマ・ドナヒューの原作はこちら

👇『ルーム』のBlu-rayはこちら

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グルブ消息不明


LET'S ENJOY 地球生活!

1990年バルセロナ
オリンピック開催を2年後に控えた街に、
二体の地球外生命体=宇宙人が降り立った。
上司である「私」の指令に従い、部下グルブは接触の準備に取り掛かる。
彼らは、肉体を持たない知的生命体。
グルブはマルタ・サンチェス(スペインポップス界の歌姫)の外見をまとい調査に出発するが、
現地住民との最初の接触の後、連絡が取れなくなってしまう。
「私」は、グルブを探しに出る決意をするのだが。。。


本書は、1990年8月1日から25日にかけてスペインの有力紙『エル・パイス』に連載された小説である。

この小説の魅力のひとつは、
地球外生命体である「私」の視点で語られることによって、読者にとっても街や地球人の生活の様子が新鮮に感じられることだろう。
そしてもうひとつは、
グルブ捜索のために街に出たはずの「私」の暴走ぶりである。
最初こそ、失敗を繰り返しつつグルブ捜索にあたっているが、途中からはグルブ捜索はそっちのけ!
アパートを借り、キロ単位でチューロ(チュロス=スペインの伝統菓子)を消費し、バルの馴染み客になり、
隣人のシングルマザーに恋をし、
すっかり地球生活をエンジョイ!

グルブは何処に?
果たして「私」はグルブと再会出来るのか?


バルセローナは当時、未曾有の状況にあった。
オリンピックが近づいていたので街中がおおわらわだった。
ところが市民たちの心は、不都合もあったというのに、喜びと期待に満ちていた。
そして何かが単調さに穴をあけるときはいつもそうだが、
ならず者があちこちから鼻先をのぞかせていた。

(「著者の覚え書き」より)


1992年オリンピック開催を控えていたバルセロナ
街中あちこちで工事中。道は四六時中渋滞。
そんな状況にあっても、市民は来るべきオリンピックに向けて前夜祭の雰囲気に酔っていた、とでもいったところだろうか。
そんな状況のバルセロナに調査のためにやってきたのが、地球外生命体=宇宙人である。
彼らの目にバルセロナの街はどう映ったのか?
そして、地球人の生活はどう見えたのか?
浮ついた雰囲気の中にあって、街の事情などまったく頓着しない存在として主人公に宇宙人を据えたのはとてもいいアイディアだったと思う。
著者は当時の街の雰囲気を苦々しく感じていたのかもしれない。
しかし、「私」が調査するバルセロナという街は読者にとても魅力的に映る。
朝食にはチューロをチョコレートにつけて食べ、バルでナスの卵とじに舌鼓を打ち、カバで乾杯したくなるのである。


本書には憂鬱の影すら存在しない。
世界を見てびっくりし、寄る辺無さを感じた者の視線で書かれているが、そこには悲劇的な様相は無いし、検閲の痕跡もない。
こんなことができたのも、この物語が長く読み続けられることはないと思いながら書いたからだ。
連載が掲載されるごとに読み捨てにされ、結局、友垣間の話の種以上のものにはならないだろうと思っていたのだ。


著者はこう書いているが、連載時から25年以上を経て、遠く離れた国で翻訳され出版されることになった。
折しも今年はオリンピックイヤー。
次のオリンピックは56年振りの東京開催である。
1990年のバルセロナとは状況も市民の受け止め方も違うだろう。
しかし、もしも現在の東京に「彼ら」がやって来たとしたら、
彼らはどんな地球人に姿を変え、
どんな風に過ごすのだろう?
「彼ら」がわが街(わが国)にやって来たとしたら?
この小説の読者は、そう考えずにはいられないはずだ。

調査報告書の体裁を採っているスタイルの他、
タイトルにもなっている「Sin noticias de Gurb (グルブからの知らせなし)」をはじめ、同じ文章が何度も繰り返されるのは本書の特徴で、これがとてもいいテンポを生み出している。
これは作家が執筆当時コンピュータ導入後間もない頃で、ワープロソフトではコピー&ペーストが簡単に出来るので、遊び感覚で書いたということらしい。
新しいテクノロジーを楽しんで使いこなすメンドサの姿勢は、バルセロナでの地球生活を時に暴走しつつもエンジョイするグルブと「私」に通じるものなのかもしれない。

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⚫︎グルブ消息不明
(はじめて出逢う世界のおはなしースペイン編)
/エドゥアルド・メンドサ
/訳=柳原孝敦/東宣出版
Sin noticias de Gurb/ Eduardo Mendoza/1990

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マジカル・ガール

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入口は「魔法少女ユキコ」、出口は「黒蜥蜴」
 
父親と暮らすアリシアは12歳。
日本のアニメ「魔法少女ユキコ」の大ファンである彼女の夢は、ユキコのコスチュームを着て歌って踊ること。
しかし、白血病を患うアリシアは医師から余命わずかという宣告を受けていた。
父親ルイスはそんな彼女の最後の夢を叶えてやりたいが、元々文学の教師である彼は現在失業中。
有名デザイナーとのコラボであるレアな衣装はとても高額(日本円で90万円、約7000ユーロ!)で彼にはとても手が届かない。
 
精神状態の不安定なバルバラは、精神科医である夫アルフレドの監視下に置かれていた。
夫婦の間はかろうじて平和が保たれていたが、彼女は家に招いた友人夫婦の前で、かなり不謹慎な態度をとってしまう。
夫にさえ見放されそうになり不安定になった彼女は大量の薬を飲んでしまう。
 
服役中の元数学教師のダミアンは出所間近。
しかし、彼はカウンセラーに不安を訴えていた。
もう少しここに置いてもらえないかと。
彼は言う。「バルバラに会うのが怖い」と。
 
余命わずかな娘と失業中の父親の絆を描くのかと思われたストーリーは、思い余ったルイスと夫に見捨てられそうになり絶望したバルバラが出会った時、思いもよらない方向へと転がっていく。
 
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
 
※以降ネタバレにつき、本編をご覧になってからお読みになることをお勧めします。
 
敢えて描かれない部分があることは、今作の大きな特徴のひとつである。
先ず、アリシアの母親の不在の理由。
母親が生きていれば余命わずかなアリシアの側にいないということは考えにくい。それに母親がいれば7000ユーロという高額なレアものでなくてもコスチュームを用意出来た、その知恵(似たものをオーダーするとか何とか安価に手に入れることが出来たはず)があったはずだ。
しかし、アリシアには父親しかいなかったし、彼は高価なコスチュームを手に入れるということ以外の選択肢を考えられなかった。
これは、悲劇を招くひとつの理由になっている。
 
父親にそばにいてほしい。
それが、アリシアの願いだった。
もしもラジオで流された彼女のメッセージをもしもルイスが聴いていたら、悲劇は起きなかっただろうか?
しかし、願い事が書かれたノートはすぐに読める状態だった。
それが、父親がノートを見るだろうという前提で書かれたものだったら?
父親が何がなんでもコスチュームを手に入れようとすることをアリシアが見越していたら?
こんな邪推をしてしまうのは、こちらの心が曇っているのか?
しかし、12歳の娘は父親が思うよりずっと大人であることは確かだ。
f:id:arakazu0125:20160412163153j:imagef:id:arakazu0125:20160412163201j:image
 
二つめは、ルイスに脅迫されたバルバラがお金を作った方法(その時彼女が頼ったアダとの関係も含めて)である。
彼女が自分の身体を提供し報酬を得たことは明らかだが、その様子は一切描かれない。
そして、トカゲ部屋とは何なのか?
観る側はめちゃくちゃに痛めつけられた彼女の様子だけを見せられ、どうしても妄想を逞しくしてしまう。
(裸の彼女の裸には醜い傷痕があり、彼女の性的嗜好が被虐的なものであることが分かる。精神科医の夫が治療が必要だと考えていたのも、彼女のこの傾向に対してだろう)。
 
そして、ダミアンとバルバラの過去に一体何があったのか?
バルバラがダミアンの教え子だったこと、
ダミアンが彼女のために罪を犯したことは明かされる。
しかし、バルバラがどうやってダミアンを唆したのは分からないままだ。
f:id:arakazu0125:20160412165118j:image
 
情報を多く与えない映画はあるが、
これほど、その描かれない部分が観る側に妄想や邪推を強いる作品も珍しい。
これは、どの情報を与え、どの情報を与えないかの取捨選択が巧みだという証拠だろう。
 
魔法少女ユキコ」になりたかったアリシア父親に魔法をかけた。
バルバラ江戸川乱歩「黒蜥蜴」の美貌の女賊の如くダミアンを操った。
バルバラが黒をはじめとした無彩色中心の衣装を身にまとうのも、額の傷がトカゲに見えるのも、バルバラに「黒蜥蜴」を重ねているからだろう。)
 
二人の“マジカル・ガール”によって男たちは破滅していった。
そして、最終的には(ある意味)彼女たちも彼らと運命を共にしたのである。
 
 
監督(脚本も執筆)のカルロス・ベルムトはこれが本格的な長編デビュー作である。
スペイン映画恐るべし。
次の作品を楽しみに待ちたい。
 
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●マジカル・ガール/Magical Girl 
                                              (2014 スペイン)
監督・脚本:カルロス・ベルムト
出演:バルバラ・レニー,ルシア・ポシャン,ホセ・サクリスタン,ルイス・ベルメホ,イスラエル・エレハルデ,エリザベト・ヘラベルト
 
バルバラ役のバルバラ・レニーと夫アルフレド役のイスラエル・エレハルデは実生活でもパートナーだそうである。
 
魔法少女」の系譜は古くは「ひみつのアッコちゃん」あたりだろうか?
日本ではこのジャンルに長い歴史があり、
その世代毎に「魔法少女」が存在する。
魔法少女」も昭和のポップスも日本人にとっては珍しいものではないが、スペイン本国やその他の国でこのテイストはどう受け取られているのか、それが気になります。
 
 
 

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