極私的映画案内

新作、旧作含め極私的オススメ映画をご案内します。時々はおすすめ本も。

今月の読書 〜2020年1月〜

2020年の始まりは、『特捜部Q』『ミレニアム』シリーズの新作もあったものの、
新年早々とんでもない傑作に出会ってしまった。
リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』
リチャード・パワーズの作品にがっかりさせられたことはないが、これは想像以上期待以上だった。
『オーバーストーリー』は、2019年ピューリツァー賞(フィクション部門)受賞。

息子の誕生から父親の死までの日々をつづった
『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレットのユーモアと優しさはやっぱり好きです。


▪️特捜部Q 自撮りする女たち/ユッシ・エーズラ・オールスン
吉田奈保子訳
早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)
SELFIES/Jussi Adler-Olsen/2016

見下し合う女たち、祖母、母、娘。時を隔てて起きた二つの殺人事件の関連性、妻に先立たれ落胆する元殺人捜査課課長、恋人に捨てられマーク家に舞い戻ったモーデン等、シリーズ7作目のトピックは数々あれど、何と言っても心配なのは精神崩壊の危機に直面したローセだ。
特捜部Qの重要な頭脳である彼女が戦力として計算出来ないことはもちろんだが、その死の後も父親の精神的虐待に耐えてきたローセの過去が重過ぎる。
そして、事件の背景にナチスドイツの影…。
双方ともに自分勝手な理屈で自らを省みることをしない女たちのバトル(というか、殺し合い)の一方で、
20年間近くも憎しみと罪悪感で不安定な精神状態のままなんとか日常をやり過ごしてきたローセを思うとやりきれない。
これまで、その突拍子もない行動に笑わされた読者もいただろうが、過去のシリーズを今読み返したら、とても笑えなくなってしまう。
特捜部Qにとって、彼女がいかに重要メンバーか改めて示した今作だが、次作でのローセ完全復活を祈る。
今作、アサドの過去やアマー島事件の真相は1ミリも明らかにならなかったが、知るのが少し怖いです。


▪️オーバーストーリー/リチャード・パワーズ
木原善彦
新潮社
The Overstory/Richard Powers/2018

ブラジルのアマゾンで、或いはオーストラリアで、
樹木、森が失われつつある今、
最も読まれるべき壮大な物語である。
物語の起承転結を「根」「幹」「樹冠」「種子」と樹木になぞらえた構成も見事だ。
そもそも樹木が土や大気に対して行なっていることのどれだけを私たちは知っているんだろう?
それを知ってか知らずか大量に伐採し、山火事によって失っている今、地球は壊れていっても仕方がないのかもしれない。
地球、自然、樹木に対して人類は余りにもちっぽけな存在だ。ここで考え方を大きく変えなければ人類が滅んだところで、それは当然の帰結なんだろう。
ひとりひとりが出来ることには限りがある。
それでも何が出来るのか?
まずは森に出かけ、巨木に背を預け、樹木や森の声に耳を傾けることから始めることは出来るかもしれない。
樹木と共に成長したり、樹木に運命を変えられたりするそれぞれの登場人物のストーリーはまさに“アメリカ”だが、読み終わってみるともっと大きなストーリーが立ち上がってくる。
今まで読んだパワーズの小説の中では一番読みやすかったが、一番“大きな”物語だった。

オーバーストーリー

オーバーストーリー

オーバーストーリー

オーバーストーリー


▪️セロトニン/ミシェル・ウェルベック
関口涼子
河出書房新社
SÉROTONINE/Michel Houelbecq/2019

軽い語り口なのでするする読めてしまうが、
書かれている内容は何とも沈鬱だ。
それなりの社会的地位も収入も得て、恋人と同棲中だが満たされないフロラン。
仕事での徒労感、鬱病治療の為の投薬による性的不能
昔の恋人や親友を訪ねるものの、彼らもまた自分以上の苦境にある。
フロランにとってカミーユは最後の希望だったはずだが、彼は彼女に声をかけない。
薬はある時点では助けになるだろう。
しかし、全てを諦めないためには薬でも幸せな記憶でも十分ではない。
何が必要なのか?
それが何なのか私にも分からない。
牛乳価格の値下げに怒った酪農家たちが絞った牛乳を道路にぶちまけるニュース映像は記憶に残っているが、アルゼンチンの牛肉はともかく、まさか牛乳がアイルランドから来るようになっていたとは!
フランスの食文化の豊かさは農業大国であることが基盤だと思っていた。
しかし、そこが脅かされているとは!
食糧の自給自足はどんな国にとっても安全保障の基礎じゃないかと思う。

セロトニン

セロトニン

セロトニン

セロトニン


▪️向田邦子の本棚/向田邦子
河出書房新社

向田邦子は、没後40年近く経っても、今だに関連本が毎年のように出版される極めて稀有な存在である。
あらためて年譜を見ると、直木賞受賞の翌年に飛行機事故で亡くなっている。
勿論、脚本家としての実績は十分だったが、
小説家としてはまだまだこれからの存在だった。
久世光彦氏が「私立向田図書館」と称したように彼女の博識の元になっているのは間違いなくこの蔵書群である。
今の時代、知識を得るのは必ずしも書籍からだけではないが、“紙の本”から得られるものは他とは違うように感じるのは、私ももう古い人間だからなのかもしれない。

向田邦子の本棚

向田邦子の本棚

👇向田邦子のエッセイと言えばこちら『父の詫び状』
新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

👇向田邦子の小説と言えばこちら『あ、うん』

新装版 あ・うん (文春文庫)

新装版 あ・うん (文春文庫)

あ・うん (文春文庫 (277‐2))

あ・うん (文春文庫 (277‐2))


▪️カササギ殺人事件/アンソニーホロヴィッツ
山田蘭訳
東京創元社創元推理文庫
MAGPIE MURDERS/Anthony Horowitz/2017

アガサ・クリスティーは古びない。
自身の作品も読み継がれているが、オマージュを捧げた作品が後をたたないのもよく分かる。
しかしだからといって、如何にも“クリスティー風”なだけでは芸がない。
『イヴリン嬢は七回殺される』もそうだったように、
そこには一捻りが必要だ。
冒頭で『カササギ殺人事件』は、語り手であるスーザンが編集を手掛けるアティカス・ピュントシリーズの最新作だ。
これは小説内小説であり、これが今作の仕掛けであることは最初から示されているが、そんなことは忘れて『カササギ殺人事件』のクリスティー的世界にどっぷりはまってしまう。
いよいよ真相が明らかになる!というところで失われてしまった「カササギ殺人事件」の最終章。
そして、アラン・コンウェイの死。
読者は「カササギ殺人事件」を最後まで読めるのか?という不安を抱えつつ最終章の行方とコンウェイの死の真相をスーザンと共に追う。
最終章が失われた、この仕掛けでひとつの作品の中に二つのストーリーを同居させる構成が巧い。
クリスティー風な「カササギ殺人事件」も現代の出版界を舞台にしたストーリーもこのクオリティなら文句なし。
当たってしまったがゆえに、続けなきゃならない人気シリーズは実際にもあるんだろうなあと思う。

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)


▪️ミレニアム6 死すべき女/ダヴィド・ラーゲルクランツ
ヘレンハルメ美穂、久山葉子訳
早川書房
HOM SOM MÅS TE DÖ/David Lagercrantz/2019

『ミレニアム』シリーズ映画版の最新作『蜘蛛の巣を払う女』では、リスベットとカミラ姉妹の決着はすでについてしまっているので、あれっ?まだ決着ついてなかったっけ?と混乱しながら読み始める。
リスベット個人のストーリーとミカエルとリスベットが共に追う事件との両輪から成る構成はラーソン版から変わらないが、フルネームで言及される登場人物が多すぎでは?
アメリカの不動産王と東欧出身のモデル妻ってアノ人がモデル?)
公園で発見された遺体の身元が明らかになる過程にはワクワクしたけれども。
エベレストであったこととその背景は、MI6のコヴァルスキーによって明かされるという、以前安易だと感じた2時間ドラマの崖っぷちシーンのごとき謎解きシーンがまた復活してしまっていたし、やはり登場人物はもっと整理した方が良かったと思う。
とは言え、ラーソン版の一作目から続く伏線はカミラの死とガリノフの逮捕で回収完了。
今後、このシリーズが続くかどうかは未定だというが、続くとすれば新たな作者は一から自由に始められそうだ。
「リスベット・サランデルは、死なせるにはあまりに惜しいキャラクター」
彼女には再会したい。

ミレニアム 6 下: 死すべき女

ミレニアム 6 下: 死すべき女

ミレニアム 6 上: 死すべき女

ミレニアム 6 上: 死すべき女

ミレニアム 6 死すべき女 下

ミレニアム 6 死すべき女 下

ミレニアム 6 死すべき女 上

ミレニアム 6 死すべき女 上

👇『ミレニアム』シリーズ映画版の最新作『蜘蛛の巣を払う女』はこちら


▪️あの素晴らしき七年/エトガル・ケレット
秋元孝文訳
新潮社
THE SEVEN GOOD YEARS/ETGAR KERET/2006-2015

あまりにも大きな喪失を経験した民族が安住の地を求めて建国した国での暮らしが常に死と隣り合わせというのは何という皮肉だろう。
いつ何処にミサイルが撃ち込まれるのか分からない生活を想像するのは難しいけれど、そこに暮らす人々は私たちとなんら変わらない。
恋に落ち、結婚し、生まれた子供はやがて保育園に行き、そして兵役問題に直面する。
この問題についてはケレットと妻の間でも意見が分かれるように、イスラエル国民だって考え方は人それぞれだ。国や民族で十把一絡げで考えがちだが、どこの国だって色々な人がいて色々な考え方があるってことは忘れないでいたいと思う。
両親の馴れ初めや妻と付き合うことになった聞き違い、
兵役中に初めて書いた小説を兄に見せに行ったエピソードはドキュメンタリー(『物語のウソとホント〜エトガル・ケレット超短編小説』)で知っていたが、空襲警報鳴り響く中固まって直立する息子に「パストラミ・サンドごっこ」を提案するエピソードが素敵。
こんな状況でもとっさにこういうユーモアを忘れないエトガル・ケレット、信頼できます。

(収録作品)
〈一年目 Year One 〉
⚫︎突然いつものことが
Suddenly the Same Thing
⚫︎大きな赤ちゃん Big Baby
⚫︎コール・アンド・レスポンス
Call and Response
⚫︎戦時下のぼくら The Way We War
〈二年目 Year Two〉
⚫︎親愛を込めて(でもなく)Yours,Insincerely
⚫︎空中瞑想 Flight Meditation
⚫︎見知らぬ同衾者 Strange Bedfellows
⚫︎ユダヤ民族の保護者 Defender of the People
⚫︎とある夢へのレクイエム
Requiem for a Dream
⚫︎長い目で眺める Long View
〈三年目 Year Three〉
⚫︎公園の遊び場での対決
Throw-down at the Playground
⚫︎スウィート・ドリームス Swede Dreams
⚫︎マッチ棒戦争 Matchstick War
⚫︎英雄崇拝 Idol Worship
〈四年目 Year Four〉
⚫︎爆弾投下 Bombs Away
⚫︎おじさんはなんて言う?
What Does the Man Say?
⚫︎亡き姉 My Lamented Sister
⚫︎鳥の目で見る Bird's Eye
〈五年目 Year Five 〉
⚫︎想像の中の故国 Imaginary Homeland
⚫︎お偉いさん(ファット・キャット) Fat Cat
⚫︎ポーズをとる人 Poser
⚫︎ありふれた罪人 Just Another Sinner
⚫︎ぼくの初めての小説 My First Story
⚫︎最後まで残った男 Last Man Standing
⚫︎憂園地 Bemusement Park
〈六年目 Year Six〉
⚫︎打ちのめされても Ground Up
⚫︎お泊まり Sleepover
⚫︎男の子は泣いちゃだめBoys Don't Cry
⚫︎事故 Accident
⚫︎息子のためのヒゲ A Mustache for My Son
⚫︎はじまりはウィスキー Love at First Whiskey
〈七年目 Year Seven〉
⚫︎シヴァ Shiva
⚫︎父の足あと In my Father's Footsteps
⚫︎ジャム Jam
⚫︎善良さの料金 Fare and Good
⚫︎パストラミ pastrami

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)


▪️バートラムホテルにて/アガサ・クリスティー
乾信一郎
早川書房クリスティー文庫
AT BERTRAM'S HOTEL/Agatha Christie/1965

列車強盗や国際的な犯罪組織が暗躍するストーリーはマープルものとしては少々派手な道具立て。
マープル自身も事件を解決するというより、
洞察力を持った重要な目撃証人といった印象だ。
しかし、事件の舞台となる古き良き時代の遺物といったバートラムホテルと若さゆえにその情熱を暴走させるエルヴァイラの対照が見事。
クリスティーへのオマージュが感じられる小説や映像作品が目立つ昨今、これも映像向きの作品だと思う。
うっかり屋さん(?)のペニファザー牧師が無事でなによりでした。

バートラム・ホテルにて

バートラム・ホテルにて


▪️そして、バトンは渡された/瀬尾まいこ
文藝春秋

高校時代は記憶の彼方というような私みたいな人間にとっては、誰が誰を好きとか、誰々に告白されたとかは正直どうでもよくて、
一番興味があるのは梨花さんはなぜそこまでして母親であることにこだわったのか?
森宮さんはなぜ父親になることをあっさり受け入れたのか?
以上二点である。
私も血の繋がらない親子や家族を否定はしないし、
大事なことは子供が安全安心であることである。
でも、高校生の娘の親になることと金魚を育てることは全く別物だ。
終始優子の一人称で語られるので、彼女の人生において重要なこの二人のキャラクターにリアリティが感じられなかった。
実父や祖父母だって簡単に娘や孫を諦めたりしないと思うよ。

【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された

【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された

そして、バトンは渡された (文春e-book)

そして、バトンは渡された (文春e-book)