極私的映画案内

新作、旧作含め極私的オススメ映画をご案内します。時々はおすすめ本も。

今月の読書 〜2019年7月、8月〜

毎年一度や二度は、読書がまったくはかどらない低迷期がやって来るのですが、それがどうやら今年は7月。
あまり読めていないのですが、この夏最大の(いや今年最大かも)収穫は何と言っても、
ルシア・ベルリンです!
『掃除婦のための手引書』は、
一言で言うなら、カッコいいのです!!
岸本佐和子さんの翻訳も素晴らしいです。



◾️無実はさいなむ/アガサ・クリスティー
小笠原豊樹
早川書房クリスティー文庫
ORDEAL BY INNOCENCE/Agatha Christie/1958

マープルもの(原作はノンジャンル)として映像化されたドラマも見たが、BSプレミアムBBC版が放送されたので原作にあたる。前のドラマの詳細も例のごとく記憶の彼方だが、BBC版は明らかにラストが違う!先にキャスティングありきなのかそれとも脚本に合わせてキャスティングしたのか分からないが、やっぱり、どういう役者が演じるかによってキャラクターのイメージも大分違うなあ。原作はシンプルだが、ドラマはそれぞれの登場人物の背景が原作よりも詳細に語られている。それにしても、BBC版のラストのブラックなこと!
映像作品での改変が可能なのは、
「誰が犯人でもおかしくない」
「誰もが動機を持っている」
という設定ならでは。
クリスティーがそこまで考えていたとは思わないけれど。

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)


◾️掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集/ルシア・ベルリン
岸本佐和子訳
講談社
A MANUAL FOR CLEANING WOMEN/Selected Stories by Lucia Berlin

鉱山町を転々とした幼少期、戦時中祖父母と暮らした暗黒期、チリでのお嬢さま暮らし、3度の結婚と離婚、シングルマザーとして四人の息子の子育て、様々な職業、アルコール依存、死にゆく妹の看取り。ルシア・ベルリンの小説は波瀾万丈過ぎる自身の人生がモチーフになっているが、そこに自己憐憫や自虐は一切ない。

「わたしはどんな悲惨なことでも、笑い話にしてしまえるのなら平気で話す。」(『沈黙』)

こう書いているように一定の距離感が保たれていて、とても心地がいいのだ。それでいて、とても心に沁みる。暫定今年のベスト本。
冒頭の書き出しとラストの切れ味がどれも素晴らしいが、あえてお気に入りを挙げるとすれば、『ドクターH.A.モイニハン』『ソー・ロング』『沈黙』『さあ土曜日だ』あたり。スノーデンさんとメイミーの掛け合いが愉快な『エルパソの電気自動車』も大好き。
あと54篇あるというルシア・ベルリン。すべて邦訳が出ますように!
〈収録作品〉
⚫︎エンジェル・コインランドリー店
⚫︎ドクターH.A.モイニハン
⚫︎星と聖人
⚫︎掃除婦のための手引書
⚫︎わたしの騎手(ジョッキー)
⚫︎最初のデトックス
⚫︎ファントム・ペイン
⚫︎今を楽しめ(カルペ・ディエム)
⚫︎いいと悪い
⚫︎どうにもならない
⚫︎エルパソの電気自動車
⚫︎セックス・アピール
⚫︎ティーン・エイジ・パンク
⚫︎バラ色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ)
⚫︎ステップ
⚫︎マカダム
⚫︎喪の仕事
⚫︎哀しみ(ドロレス)の殿堂
⚫︎ソー・ロング
⚫︎ママ
⚫︎沈黙
⚫︎さあ土曜日だ
⚫︎あとちょっとだけ
⚫︎巣に帰る
※物語(ストーリー)こそがすべて/リディア・デイヴィス

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

表紙の写真は、ルシア・ベルリン自身。
装丁はクラフト・エヴィング商會です。


◾️悪の五輪/月村了衞
講談社

偶然の出会いからヤクザ者となった戦災孤児、人見稀郎。映画好きの変人ヤクザが東京五輪の記録映画監督選定に暗躍する顛末。人見周辺のごく一部を除いては実在の人物が多数登場するので“あったかもしれない”ストーリーとして臨場感たっぷりだ。中でも、人見に協力することになる花形敬は余りにもフィクショナルなキャラクターなので、てっきり架空の人物かと思ったら実在の人物だった(花形敬刺殺事件も史実)ので吃驚。一年後に再び東京五輪を控えタイムリーな作品だが、50年以上経ってもこの国は何も変わっていないような気がしてきた。

悪の五輪

悪の五輪


◾️生成不純文学/木下古栗
集英社

格調高い文章と内容のギャップがクセになる木下古栗文学。ロシア人宇宙飛行士の夢がOLの便秘解消につながって行くなんてすごい発想の飛躍。出口が異界へ続く迷路のよう。まさか、「虹色ノート」の虹色がう◯◯だったとはね!ひとりで昼休みを過ごしたい、ペットボトルのゴミが捨てられないとかありがちなあるある話がとんでもない着地点に帰結する展開は唯一無二。「生成不純文学」はモーツァルトの「きらきら星変奏曲」みたい。アハハ、じゃなくてグフフという笑いが漏れてしまうことを正直に告白しておく。
ストロガノフ飛行士のその後は如何に?
〈収録作品〉
⚫︎虹色ノート
⚫︎人間性の宝石 茂林健二郎
⚫︎泡沫の遺伝子
⚫︎生成不純文学

生成不純文学

生成不純文学


◾️刑罰/フェルディナント・フォン・シーラッハ
酒寄進一訳
東京創元社
STRAFE/Ferdinand von Schirach/2018

いつものように極力無駄を廃した淡々とした文章で紡がれる物語は、人が犯す罪と罰の間に横たわる大いなる矛盾。法律や裁判制度は万能ではなくて、それを巧く利用する者、こぼれ落ちる者、隙を突く者があって、犯した罪に対して常に正当な罰が下るとは限らない。むしろ、犯した罪と与えられた罰の間の不均衡、矛盾にやり切れなさを感じることも少なくないのが現実なのかもしれない。だからこそ、一話一話が、胸にズシンと重く響く。
彼女と一緒に私も、バルコニーで夫が片足を乗せた椅子を蹴っていた(「青く晴れた日」)。
〈収録作品〉
⚫︎参審員 Die Schöffin
⚫︎逆さ Die falsche Seite
⚫︎青く晴れた日 Ein hellblauer Tag
⚫︎リュディア Lydia
⚫︎隣人 Nachbarn
⚫︎小男 Der Kleine Mann
⚫︎ダイバー Der Taucher
⚫︎臭い魚 Stinkefisch
⚫︎湖畔邸 Das Seehaus
⚫︎奉仕活動(スボートニク) Subotnik
⚫︎テニス Tennis
⚫︎友人 Der Freund

刑罰

刑罰


◾️三体/劉慈欣
大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳
早川書房
THE THREE-BODY PROBLEM/Cixin Liu/2006

中国人作家の翻訳小説で、しかもSF。
本が売れないご時世に売れる要素はあるとは思えない小説が、売れている。
人類に絶望し、いっそこの地球は滅びる(あるいは地球外生命体によって侵略される)方がいいというモチーフはSFでは珍しくはない。
でも、今この作品が売れているというのは、内戦、テロ、貧困、環境破壊、あらゆる不寛容など、現在この世界を取り巻く問題に絶望感を覚えることも少なくないことと無関係だとも思えない。
文系脳としては、「三体問題」とか「ロシュの限界」なんて聞くだけで何だかウットリしてしまう。
三部作の第一部。
今後、どんな大きなスケールの物語世界が待ち受けているのか楽しみだが、第二部を読む前に第一部から読み直すこと、必至。

三体

三体


◾️三人の逞しい女/マリー・ンディアイ
小野正嗣
早川書房
TROIS FEMMES PUISSANTES/Marie Ndiaye/2009

タイトルからして、『三つ編み』を思い出すが、こちらはだいぶ変化球。
第一話のシングルマザーで弁護士ノラは経済力のない恋人とその娘の生活をも抱え、更に父親の罪を背負い刑務所に入った弟を助けようとするが本人にも何やら記憶の欠落がある。
第二話の語り手は結婚によって仕事を奪われたファンタではなく何をやってもうまくいかないフランス人夫ルディだ。第三話のカディ・デンバの運命の過酷さを思うと一体彼女たちの何処が「逞しい」のか?
彼女たちが逞しいとすれば、どんな状況でもその場その場で立ち続けようとする「逞しさ」だろうか?

三人の逞しい女

三人の逞しい女


◾️突然、ノックの音が/エトガル・ケレット
母袋夏生訳
新潮社(新潮クレスト・ブックス)
Suddenly,a Knock on the Door/Etgar Keret/2010

現実問題として、ノックしたのが誰か分からずにドアを開けることは少ないと思うけれど、ケレットの紡ぎ出すお話を読んでいると、ドアを開けるというなんてことのない日常的な行為がとてつもないことのように思えてくる。これぞ人生、とばかりに、ドアの向こうで何が待ち構えているのか予想出来ない。ニューヨークとテルアビブの街中で同じような行列があるとしても、テルアビブの行列の半分以上の人は目の前で人が死ぬのを見たことがあるんだそう。一瞬先は予測不能なケレットの作風はそんなお国柄と無関係ではないんだろう。
〈収録作品〉
⚫︎突然、ノックの音が Suddenly, a Knock on the Door
⚫︎嘘の国 Lieland
⚫︎チーザス・クライスト Cheesus Christ
⚫︎セミョン Simyon
⚫︎目をつむって Shut
⚫︎健康的な朝 Healthy Start
⚫︎チームを組み Teamwork
⚫︎プリン Pudding
⚫︎最近、並みじゃなくたつ Actually,I've Had Some Phenomenal Hard-Ons Lately
⚫︎チクッ Unzipping
⚫︎お行儀のいい子 The Polite Little Boy
⚫︎ミスティック Mystique
⚫︎創作 Creative Writing
⚫︎鼻水 Snot
⚫︎カッコーの尻尾をつかむ Grab the Cuckoo by the Tail
⚫︎色を選ぶ Pick a Colour
⚫︎青あざ Black and Blue
⚫︎ポケットになにがある? What Do We Have in Our Pockets?
⚫︎バッド・カルマ Bad Karma
⚫︎アリ Ali
⚫︎プードル Bitch
⚫︎勝利の物語 The Story,Victorious
⚫︎一発 A Good One
⚫︎カプセルトイ Capsule Toy
⚫︎金魚 What,of this Goldfish,Would You Wish?
⚫︎ひとりぼっちじゃない Not Completely Alone
⚫︎終わりのさき One Step Beyond
⚫︎あおい、おおきなバス Big Blue Bus
⚫︎痔 Haemorrhoid
⚫︎一年中、いつも九月 September All Year Long
⚫︎ジョゼフ Joseph
⚫︎喪の食事 Mourners' Meal
⚫︎もっと人生を More Life
⚫︎パラレルワールド Parallel Universe
⚫︎アップグレード Upgrade
⚫︎グアバ Guava
⚫︎サプライズ・パーティ Suprise Party
⚫︎どんな動物? What Animal Are You?

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)