極私的映画案内

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今月の読書 〜2018年8月〜

今月の読書8月分をお届けします。
オススメは、デニス・ルヘイン『あなたを愛してから』ドン・ウィンズロウ『犬の力』のエンタメ小説2冊。


■収容所のプルースト/ジョゼフ・チャプスキ
岩津航訳
株式会社共和国
Proust contre la déchéance,Conférences au camp de Griazowietz/Joseph CZAPSKI/1896-1993

独のポーランド侵攻後、ポーランド将校だった画家ジョゼフ・チャプスキはソ連軍の捕虜となる。
突然行われる移送に怯える中で彼が行なったプルーストに関する講義の内容が本書である。
失われた時を求めて』はタイトルくらい(マドレーヌのくだりくらいは知っている)しか知らない私は勿論心の中で積読本に加えたが、
講義を受けた収容者も勿論そうだったに違いない。
(既読の収容者もいただろうが)しかしその多くは生き延びて読むことが出来なかった。
それでも、この講義がその瞬間生きていた彼らの大きな支えであったことは確かだ。
アンジェイ・ワイダカティンの森』で多くの収容者が辿った運命を見ていただけに(まるで流れ作業のように淡々と収容者が処刑されていく様子に震撼した)講義を受ける彼らの心情を考えるのが辛かった。

収容所のプルースト (境界の文学)

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ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督『カティンの森』はこちら👇

カティンの森 [DVD]

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■憂鬱な10か月/イアン・マキューアン
村松潔訳
新潮社(新潮クレスト・ブックス)
Nutshell/Ian McEwan/2016

これまで各作品で様々な仕掛けで読者を楽しませてくれたイアン・マキューアンだが、本作の語り手は、なんとまだ母親と臍の緒で繋がっている胎児だ。
彼はいまだ母親の姿形も知らないが、様々な音声情報から情報を得、急速に知識を蓄えていく。
母は父とは別居中、そして別の男と父の殺害を企てている。その“別の男”とは父の実弟
そう、これは時代設定こそ現代だが、『ハムレット』を下敷きにしているのだ。
自らの色と欲だけが行動原理の母と叔父に対し、自分の将来だけでなく、この世界の行く末をも憂いている彼の姿はマキューアンの皮肉。

憂鬱な10か月 (新潮クレスト・ブックス)

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■あなたを愛してから/デニス・ルヘイン
加賀山卓朗訳
早川書房(ハヤカワポケットミステリ)
SINCE WE FEEL/DENNIS LEHANE/2017

父の顔どころか名前さえ知らずに育ったレイチェル。
娘に父親について何も語らないまま突然亡くなった母との確執、その後の父親探し。
これがストーリーの発端だが、この作品は中盤以降、劇的にギアチェンジし、思いもよらない着地点を迎える。
そもそも女性視点のデニス・ルヘイン作品が珍しいが(少なくとも私は初めて)、ここまで予測不能のストーリー展開も珍しい。
レイチェルがようやく辿り着いた真実を受け止め、前に進んでいく姿はある意味(?)清々しい。多くのルヘイン作品が映像化されているが、これも間違いなく映像化されそうだ。


■犬の力/ドン・ウィンズロウ
東江一紀
角川書店(角川文庫)
THE POWER OF THE DOG/Don Winslow/2005

ソダーバーグ『トラフィック』+ヴィルヌーヴ『ボーダーライン』といったところか。
ジェームズ・エルロイの一連のシリーズの読者の私としてはこのヘヴィな展開も許容範囲。
ただドン・ウィンズロウ作品は『ストリート・キッズ』しか読んでないので、この作風には少々驚かされた。
DEA捜査官、メキシコの麻薬カルテル、NYマフィア、そして、美貌の高級娼婦がどう繋がってくるのか?
人物配置の妙が本領を発揮していくのはこれからだろう。
しかし、上巻のラスト、この上ない鬱展開。
フィクションやノンフィクションから知るカルテルの残虐な行為には「これが人間の仕業なのか」と呆然とする。
よく“麻薬戦争”と言われるが、これは比喩なんかじゃなく文字通りの“戦争”なんだと思う。
“戦争”という状況に放り込まれれば、平時はよき父もよき息子も狂気にかられた悪鬼となる。
冷戦下の世界で大国はあらゆる大陸で“戦争”状況を作り出してきた。そこで犠牲になるのはいつも市民だ。
カルテルのトップに上り詰めたアダン、殺し屋となったショーン、彼らだって運命に翻弄された犠牲者かもしれない。


■オリジン/ダン・ブラウン
越前敏弥訳
角川書店
ORIGIN/Dan Brown/2017

ラングドンの教え子であるコンピューター科学者で未来学者エドモンド・カーシュがスペイン、グッゲンハイム美術館で行うプレゼンテーションは「われわれはどこから来たのか?われわれはどこへ行くのか?」という人類最大の謎を解くものになるはずだった。
しかし、登場したカーシュは何者かに暗殺されてしまう。グッゲンハイム美術館館長で次期国王の婚約者アンブラ・ビダルと共にカーシュのメッセージを伝えようと奔走するラングドン
逃走しながらの謎解きはこのシリーズの定番だが、舞台は行きたい国NO1スペインなので、個人的には楽しい。
ラングドンとアンブラをサポートするエドモンドがプログラミングした人工知能ウィンストン。
現実世界でも人工知能は生活の中に普通に存在するものになりつつある今、多くのフィクションに人工知能が登場する。
しかし、フィクションの中の人工知能はしばしば暴走する。彼らは指示に忠実過ぎるくらい忠実だし目的のためなら手段を選ばない。
人工知能、進化論の再定義、パルマール教会、今作も薀蓄満載で好奇心を刺激された。
特に物理学者ジェレミーイングランドの説は興味深く理系音痴の私でもワクワク!
この説が証明されても宗教は残ると私は思う。

「端的に言うと、エネルギーをよりよく分散させるために、物質がみずから秩序を作り出すわけです。自然はー無秩序を促すためにー秩序の小さなポケットを作ります。そうしたポケットはシステムの混沌を高める構造を具え、それによってエントロピーを増大させるのです」

オリジン 上

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オリジン 下

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オリジン 上 (角川文庫)

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オリジン 中 (角川文庫)

オリジン 中 (角川文庫)

オリジン 下 (角川文庫)

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ムッシュー・パン/ロベルト・ボラーニョ
松本健二訳
白水社(ボラーニョ・コレクション)
MONSIEUR PAIN/Roberto Bolaño/1999

舞台は1938年のパリ。
危篤状態のペルー人ムッシュー・バジェホの治療を知人のマダム・レノーから頼まれたムッシュー・パンはその時から正体不明のスペイン人に尾行されるようになる。
時代はスペイン内戦、ナチスの台頭という不穏な時代。
霧雨が冷たく服を濡らすパリの夜はいつまでも明けることがないかのようで、一体何に巻き込まれているのかわからないムッシュー・パンの不安を読者も共に味わう。
ボラーニョはムッシュー・パンにも読者にも答えを与えてはくれないが、かわりにエピローグを書いた。
これがとても効果的だと思った。
謎めいた登場人物の中でも特に印象的なのは、夜のパリを彷徨うムッシュー・パンが出会った水槽災害ジオラマ作者のルデュック兄弟。

ムッシュー・パン (ボラーニョ・コレクション)

ムッシュー・パン (ボラーニョ・コレクション)