極私的映画案内

新作、旧作含め極私的オススメ映画をご案内します。時々はおすすめ本も。

2017年のオススメ本《後編》

2017年のオススメ本、《後編》の10冊です。
ここ何年か、脳内積読本になっているロベルト・ボラーニョの未完の大長編『2666』
今年に持ち越しとなってしまいましたが、
(その代わりに読んだ?)ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』が圧巻でした。
今年もこつこつ、ラテンアメリカ文学を読んでいきたいと思ってます。


▪️私の名前はルーシー・バートン/エリザベス・ストラウト
小川義高訳/早川書房
MY NAME IS LUCY BARTON/Elizabeth Strout/2016

手術を終えればじきに退院出来る筈の盲腸炎で入院が長引くルーシー。
幼い二人の娘にも会えず、仕事に家事に忙しい夫は見舞いもままならず、不安な日々を送る彼女の元を訪れたのは疎遠になっていた母だった。
母と過ごす5日間は、主に故郷の人々の噂話に終始するが、その時ルーシーが一番側にいて欲しかったのはきっと母親だったろうし、その後の人生において、そして作家としても重要な5日間となる。
離婚、再婚、様々な出会い。ルーシーという人間、
作家を作り上げた要素はいろいろあれど、
家族との関係、特に母との関係は特別だったのだろう。
どんなに疎遠になっていても愛がない訳じゃない。
そんなに簡単に家族の縁がきれる訳じゃない。人それぞれに愛情の示し方があって、ルーシーの母にとってそれは、ベッドの足元に座り噂話をすることだった。

「私の母が愛してるという言葉を口に出せない人だったことを、読者にはわかってもらえないかもしれない。それでもよかったということをわかってもらえないかもしれない」

人のことなんかわかりゃしない。
自分のことだってわかってもらえないかもしれない。
それでもルーシーは書く。
そして、エリザベス・ストラウトも書き続ける。

私の名前はルーシー・バートン

私の名前はルーシー・バートン

👇エリザベス・ストラウトのピューリッツァー賞受賞作『オリーブ・キタリッジの生活』はこちら
オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)

オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)


▪️異国の出来事/ウィリアム・トレヴァー
栩木伸明訳/国書刊行会
A SELECTION OF STORIES/William Trever/1972,1975,1981,1986,1989,1992,2000,2007

旅先という非日常。
見知らぬ人とのつかの間の出会いと別れもあれば、
知っている筈の人の意外な面に驚かされることもある。
“非日常”というだけでも、旅の記憶に残りやすいが、
そこで起きたことはその後の人生において決定的な影響を及ぼしてしまうこともある。
長い人生においては短い時間でも、より劇的。
旅は短編小説そのもの。
傑作揃いだが、一瞬の恋が永遠だった「版画家」、
離婚で自分の人生を歩み始めた女性が苦い現実に直面する「家出」、父と娘がすれ違う「ザッテレ河岸で」、
親友だった少女を引き裂いた秘密を描く「娘ふたり」がお気に入り。
(収録作品)
⚫︎エスファハーンにて
⚫︎サン・ピエトロの煙の木
⚫︎版画家
⚫︎家出
⚫︎お客さん
⚫︎ふたりの秘密
⚫︎三つどもえ
⚫︎ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし
⚫︎ザッテレ河岸で
⚫︎帰省
⚫︎ドネイのカフェでカクテルを
⚫︎娘ふたり

異国の出来事 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)

異国の出来事 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)


■アメリカーナ/チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
くぼたのぞみ 訳/河出書房新社
AMERICANAH/Chimamanda Ngozi ADICHIE/2013

ジュンパ・ラヒリ、イーユン・リー、ジェフリー・ユージェニデスなどこれまでにも米国に移り住んだ人々の物語は読んできたが、ナイジェリア人女性の視点で語る本作はとても新鮮だった。
「オールド・ファッションなラブストーリーを書きたかった」そうだが、やっぱり興味深いのはイフェメルが米国へ行って初めて直面した“人種問題”だ。
アメリカ黒人と非アメリカ黒人の間に存在する意識の違い、外国で学び帰国したナイジェリア人と故国との間の生じるズレ。
イフェメルはアメリカで傍目からみればかなり上等な二人の恋人(白人リベラル、アフリカ系アメリカ人)と付き合うが、二人の人種問題に対する態度に違和感を感じる。
結局それが故郷の恋人オビンゼの元に戻る動機のひとつにもなっていくのだが、一筋縄にはいかない人種問題の複雑さについて考えさせられた。
ナイジェリアにいる間は自分が黒人だと意識したことのなかったイフェメルの姿と日本に生まれて暮らしている日本人が重なる。
日本人だって海外に出れば、間違いなくマイノリティであり、差別される側の存在だ。
“ラブストーリー”の効用は、イフェメルの運命の人であるオビンゼの視点を獲得出来たことだろう。
彼の視点があることでストーリーが重層的になっているし、彼がイギリスで経験した挫折は海外に出たナイジェリア人のもうひとつの物語だ。
イフェメルの物語は、自分が自分らしくいられる場所(あるいは自分が自分らしくいられる誰か)を探す旅でもある。
恋愛というのは、自分がどういう人間なのかを知ることなんだとあらためて思う。

アメリカーナ

アメリカーナ


■百年の散歩/多和田葉子
新潮社

フィクションともエッセイとも言い難い不思議な味わい。実在するベルリンの通りや広場の名を冠した章で構成されている。あの人を待ちながら歩く通りや広場、目に映る景色や店や人々の姿、刺激された想像力が解き放たれる。

渡し船には乗らず、横断歩道のシマウマの背中に乗って渡った」
「驚きはミミタブの裏側をカタツムリのようにゆっくりと這い上がった」

(『レネー・シンテニス広場』)

逆立ちしても出て来ないようなハッとする表現にため息。他言語で暮らしているからより洗練された日本語で表現できるのだろうか?全編、素晴らしかった。
「レネーシンテニス広場」のレネーシンテニスはベルリン国際映画祭のトロフィーのクマを制作した彫刻家。通りや広場の名前になったその人への興味もわくし、その場所の歴史にも思いを馳せたくなる。

「蜘蛛を嫌う人、汚職を嫌う人、にんじんを嫌う人、
ナイロンを嫌う人、いろんな人がいていい。
でもユダヤ人を嫌うということはありえない。
トルコ人を嫌うということはありえない。
中国人を嫌うということはありえない。
自分の傷が腐食しかけているのに治療する勇気を出せない憶病者が、無関係な他人に当たり散らしているだけだ。」

(『トゥホルスキー通り』)

「子供は背後に無限に広がる空間に一歩づつ踏み込んでいく。未知の空間での冒険がこんなに日常的な時間に含まれていることを知っているのは子供たちだけだ」
(『コルヴィッツ通り』)

「あの人は言った。若葉がきれいなのは数日間だけだ、と。すぐに色がくすんでしまう恋愛に似ている。必ずくすんで、それから先の時間はずっと失った色のことが気になっている。無理だとわかっていても取り戻そうとする。取り戻せないので再現しようとする。演じようとする。もしも喪失も恋愛のうちならば、ハカナイということにはならない。むしろいつまでも終わらないことが苦しいくらい。恋の時間は長い。」
(『トゥホルスキー通り』)
(収録作品)
⚫︎カント通り
⚫︎カール・マルクス通り
⚫︎マルティン・ルター通り
⚫︎レネー・シンテニス広場
⚫︎ローザ・ルクセンブルク通り
⚫︎プーシキン並木通り
⚫︎リヒャルト・ワグナー通り
⚫︎コルヴィッツ通り
⚫︎トゥホルスキー通り
⚫︎マヤコフスキーリング

百年の散歩

百年の散歩


■母の記憶に/ケン・リュウ
古川嘉通 他訳/早川書房(新・ハヤカワ・SF・シリーズ)
MEMORIES OF MY MOTHER AND OTHER STORIES /KEN LIU/2017

かつての私がそうだったようにSFに苦手意識のあるひとにこそオススメしたいのが、ケン・リュウの短編集。
前作の『紙の動物園』もそうだったように、
ケン・リュウの紡ぐストーリーはSF要素はほんの一部であって、まず、その世界観を理解しなければストーリーに入り込めないというものではない。
今作にはごく短いものから中編と言ってもいいようなものもあるが、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を思わせるごく短い表題作『母の記憶に』、身体機能を拡張強化した女探偵が娼婦殺しの犯人を追う中編『レギュラー』辺りがお気に入り。
中国で生まれアメリカで教育を受けた著者の出自が活かされたゴールドラッシュのサンフランシスコが舞台の『万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語』、中国の史実に材をとった『草を結びて環を銜えん』も良かったです。
(収録作品)
⚫︎烏蘇里羆(ウスリーひぐま)The Ussuri Bear
⚫︎草を結びて環を銜えん
Knotting Grass,Holding Ring
⚫︎重荷は常に汝とともに
You'll Always Have the Burden with You
⚫︎母の記憶に Memories of My Mother
⚫︎シミュラクラ Simulacrum
⚫︎レギュラー The Regular
⚫︎ループの中で In the Loop
⚫︎状態変化 State Change
⚫︎パーフェクト・マッチ The Perfect Match
⚫︎カサンドラ Cassandra
⚫︎残されし者 Staying Behind
⚫︎上級読者のための比較認知科学絵本
An Advanced Reader's Picture Book of Comparative Cognition
⚫︎訴訟師と猿の王
The Litigation Master and the Monkey King
⚫︎万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語
All the Flavors
⚫︎『輸送年鑑』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)
The Long Haul:From the ANNAL OF TRANSPORTATION,The Pacific Monthly,May 2009

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

👇ケン・リュウの前作『紙の動物園』もオススメ


■都会と犬ども/マリオ・バルガス=リョサ
杉山晃 訳/新潮社
La ciudad y los perros /Mario Vargas Llosa/1962

どんな時代のどんな学校にもある程度は存在するであろうスクール・カースト
しかし、あらゆる階級の少年達が集まるレオンシオ・プラド士官学校で、その階級を決定付けるのは腕力と狡賢さ。
アルベルトは道化を演じ、ジャガーはその腕力でクラスを支配し、繊細で心優しいリカルドは“奴隷”となる。
バルガス=リョサ二十代半ばの作品だが、
第二部でガンボア中佐の存在感が増し、
テレサに思いを寄せる謎の少年の正体が明らかになる見事な構成は既に見てとれるし、落ち着き払った最近の作品にはあまり見られない“熱”が感じられる。傑作です。

都会と犬ども

都会と犬ども


オープン・シティ/テジュ・コール
小磯洋光 訳/新潮社(新潮クレスト・ブックス)
OPEN CITY/Teju Cole/2011

混血として生まれ幼少期を過ごした土地を離れ何処にもコミットしていないという寄る辺なさと孤独を抱えるジュリアス。
ニューヨークを歩きブリュッセルを彷徨い、
身体はそこにあっても心は距離も時間も超え、
自らの過去、その土地の歴史に思いを馳せる。
冬のNYの痛いくらいの空気の冷たささえ感じられる描写力は素晴らしいし、知的だが、
何処かスノッブで鼻持ちならない。
祖母を思いブリュッセルに向かうも然程必死に探すでもなく、母との間の距離についても多くを語らない。
ジュリアスに対するこうした違和感の正体は、
終盤、同級生の姉であるモジによって暴露される。
国やその土地に眠る暴力の歴史について語りながら、
自分が加害者となった暴力については無自覚なジュリアス。
テジュ・コールはジュリアスについてモジに「精神科医の知ったかぶり屋」と言わせている。
テジュ・コールは読者がジュリアスに抱く違和感など織り込み済みなのだ。人は歴史の傍観者としてならいくらでも善の側に立てるが、
当事者となるとそうはいかない。

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)


■フロスト始末/R・D・ウィングフィールド
芹澤恵 訳/創元推理文庫東京創元社
A Killing Frost/2008

冒頭、車輌維持経費の書類とにらめっこしてるジャック・フロスト警部の描写だけで、もうニヤニヤが止まらない!相も変わらず慢性人手不足のデントン署管内では、ティーンエイジャーの行方不明事件、死体遺棄事件にスーパー脅迫事件と事件続発。更にデントン署からフロストを追い出そうと画策するマレット署長の刺客スキナー警部登場!ウェールズ出身お芋クンことモーガンはちったあ使えるようになった様子。マレット署長の車はジャガーからポルシェって、署長ってそんなに高給取り?口は悪いが、フロスト警部は紳士です。
下巻突入後は、だから違うって!ブリジットがデビーの携帯を盗んだのはデビーのロッカーじゃないんだって!と心で叫びながらフロスト警部とデントン署の面々と共に最後の事件解決。ついに、とうとう読み終わってしまった…。お世辞にもかっこいいとは言えないくたびれた中年警部のシリーズがここまで支持されたのは、フロストの女性や子供、弱者に対する優しさや悪に対する姿勢が一貫していたからだろう。芋兄ちゃんだ何だと言われながらもモーガンがフロストを慕うのも、何とか一丁前の刑事にしてやろうっていうフロストの親心を感じてたからじゃないかしらん。
なんでも二人組の作家による若き日のフロストを描くシリーズが発表されているということで、これは朗報!現在までに四作発表されているので人気も上々なのだろう。
日本語訳が出るときは、是非とも芹澤恵さんの訳でお願いします。


■神秘大通り/ジョン・アーヴィング
小竹由美子 訳/新潮社
AVENUE OF MYSTERIES/John Irving/2015

「フワン・ディエゴは常に心の中でー記憶のなかではもちろんだが、夢のなかにおいてもまたー自分のふたつの人生を「平行に並べて」繰り返し、たどり直していた。」メキシコ、オアハカのゴミ捨て場の子として生まれ育ち、米中西部アイオワに移り自分が思うよりも人気作家となったフワン・ディエゴ。彼の「平行に並べて」たどり直すふたつの人生のブリッジとなるのは、夢だ。脈絡のない夢に喚起されて記憶が呼び覚まされる。実のところ、読みながらウトウトし、夢の中で物語の続きを見て、目が覚めて、さらに物語の続きを読むという読み方をしている。
オアハカで死んだ徴兵忌避者グッド・グリンゴとの約束を果たすためフィリピンへ向かうフワン・ディエゴ。それは、妖しい魅力溢れる母娘ミリアムとドロシーに導かれる死出の旅。ダンプ・キッドだったフワン・ディエゴの運命を変えたのは聖処女マリアが見せた奇跡。パッと現れ消える母娘は聖処女マリアとグアダルーペを思わせる。人生の終わりに、何よりも大切な少年時代の記憶を取り戻し、母娘との官能的な経験を経て、聖処女グアダルーペの元へ。避けられない運命なら、こんな終わりも悪くないのかもしれない。
アーヴィングが描く衝突コースの人生は悲劇に満ちているが、それでも「開いた窓は見過ごせ」(「生き続けろ」)がメッセージだったと思う。今作も成長することを拒否した女の子、中絶、トランスヴェスタイトエイズ禍とおなじみのモチーフに溢れているが、最期にフワン・ディエゴに「驚きはない」と言わせるあたりは、アーヴィングも年をとったということだろうか?
『第五幕、第三場』作家になったフワン・ディエゴが高校時代のいじめっ子ヒュー・オドンネルと再会するシーンが好き。Dr.ローズマリーが「結婚申し込んでた!」と言うのも納得。
「あなたは女性と話すべきだー何を読んでいるか、女性に聞いてみなさい!」 「女性が本を読まなくなったらーそれが、小説の死ぬときだ!」だそうです。

神秘大通り (上)

神秘大通り (上)

神秘大通り (下)

神秘大通り (下)


■夜のみだらな鳥/ホセ・ドノソ
鼓直 訳/集英社
EL OBSCENO PÁJARO DE NOCHE/José Donoso/1970

「作中人物はいつも不明瞭で、不安定で、決して一個の人間としての形をとらなかったわ。いつも変装か、役者か、くずれたメーキャップとかいった……」語り手であるウンベルト・ペニャローサの作品を評してある登場人物がこう言っているが、この小説にも当てはまる。時制が行ったり来たりという小説は珍しくはないが、それに加えて登場人物、それも語り手自身が変身してしまう。どこまでが(物語中の)事実で、どこまでが語り手の妄想なのかもわからない。読者にここまで混乱を強いる小説は初めて。これを何度も書き直したというドノソ、恐るべし!
ホセ・ドノソ三作目。これまで読んだドノソ作品では、『隣りの庭』の庭(故郷の庭と隣家の庭)、『別荘』の別荘、そして本作の修道院と畸形の王国となるリンコナーダの邸宅も登場人物と同様、あるいはより重要なピースになっている。

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))