極私的映画案内

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グルブ消息不明


LET'S ENJOY 地球生活!

1990年バルセロナ
オリンピック開催を2年後に控えた街に、
二体の地球外生命体=宇宙人が降り立った。
上司である「私」の指令に従い、部下グルブは接触の準備に取り掛かる。
彼らは、肉体を持たない知的生命体。
グルブはマルタ・サンチェス(スペインポップス界の歌姫)の外見をまとい調査に出発するが、
現地住民との最初の接触の後、連絡が取れなくなってしまう。
「私」は、グルブを探しに出る決意をするのだが。。。


本書は、1990年8月1日から25日にかけてスペインの有力紙『エル・パイス』に連載された小説である。

この小説の魅力のひとつは、
地球外生命体である「私」の視点で語られることによって、読者にとっても街や地球人の生活の様子が新鮮に感じられることだろう。
そしてもうひとつは、
グルブ捜索のために街に出たはずの「私」の暴走ぶりである。
最初こそ、失敗を繰り返しつつグルブ捜索にあたっているが、途中からはグルブ捜索はそっちのけ!
アパートを借り、キロ単位でチューロ(チュロス=スペインの伝統菓子)を消費し、バルの馴染み客になり、
隣人のシングルマザーに恋をし、
すっかり地球生活をエンジョイ!

グルブは何処に?
果たして「私」はグルブと再会出来るのか?


バルセローナは当時、未曾有の状況にあった。
オリンピックが近づいていたので街中がおおわらわだった。
ところが市民たちの心は、不都合もあったというのに、喜びと期待に満ちていた。
そして何かが単調さに穴をあけるときはいつもそうだが、
ならず者があちこちから鼻先をのぞかせていた。

(「著者の覚え書き」より)


1992年オリンピック開催を控えていたバルセロナ
街中あちこちで工事中。道は四六時中渋滞。
そんな状況にあっても、市民は来るべきオリンピックに向けて前夜祭の雰囲気に酔っていた、とでもいったところだろうか。
そんな状況のバルセロナに調査のためにやってきたのが、地球外生命体=宇宙人である。
彼らの目にバルセロナの街はどう映ったのか?
そして、地球人の生活はどう見えたのか?
浮ついた雰囲気の中にあって、街の事情などまったく頓着しない存在として主人公に宇宙人を据えたのはとてもいいアイディアだったと思う。
著者は当時の街の雰囲気を苦々しく感じていたのかもしれない。
しかし、「私」が調査するバルセロナという街は読者にとても魅力的に映る。
朝食にはチューロをチョコレートにつけて食べ、バルでナスの卵とじに舌鼓を打ち、カバで乾杯したくなるのである。


本書には憂鬱の影すら存在しない。
世界を見てびっくりし、寄る辺無さを感じた者の視線で書かれているが、そこには悲劇的な様相は無いし、検閲の痕跡もない。
こんなことができたのも、この物語が長く読み続けられることはないと思いながら書いたからだ。
連載が掲載されるごとに読み捨てにされ、結局、友垣間の話の種以上のものにはならないだろうと思っていたのだ。


著者はこう書いているが、連載時から25年以上を経て、遠く離れた国で翻訳され出版されることになった。
折しも今年はオリンピックイヤー。
次のオリンピックは56年振りの東京開催である。
1990年のバルセロナとは状況も市民の受け止め方も違うだろう。
しかし、もしも現在の東京に「彼ら」がやって来たとしたら、
彼らはどんな地球人に姿を変え、
どんな風に過ごすのだろう?
「彼ら」がわが街(わが国)にやって来たとしたら?
この小説の読者は、そう考えずにはいられないはずだ。

調査報告書の体裁を採っているスタイルの他、
タイトルにもなっている「Sin noticias de Gurb (グルブからの知らせなし)」をはじめ、同じ文章が何度も繰り返されるのは本書の特徴で、これがとてもいいテンポを生み出している。
これは作家が執筆当時コンピュータ導入後間もない頃で、ワープロソフトではコピー&ペーストが簡単に出来るので、遊び感覚で書いたということらしい。
新しいテクノロジーを楽しんで使いこなすメンドサの姿勢は、バルセロナでの地球生活を時に暴走しつつもエンジョイするグルブと「私」に通じるものなのかもしれない。

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⚫︎グルブ消息不明
(はじめて出逢う世界のおはなしースペイン編)
/エドゥアルド・メンドサ
/訳=柳原孝敦/東宣出版
Sin noticias de Gurb/ Eduardo Mendoza/1990

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