極私的映画案内

新作、旧作含め極私的オススメ映画をご案内します。時々はおすすめ本も。

あなたを選んでくれるもの

 
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もうひとつのパラレルワールド

 
長編デビュー作『君とボクの虹色の世界』でカンヌ映画祭カメラドール他四つの賞を受賞したミランダ・ジュライは次回作(『ザ・フューチャー』)の脚本に行き詰っていた。脚本を書き進めるかわりに彼女がやっていたのは、取材だと言い訳をしつつ、ネットの海を漂流することだった。
ある日、(「売ります」広告の小冊子)『ペニーセイバー』を熟読していた彼女は、売り手のことをもっと知りたいと思う。どんなことを考えているのか?日々どんな風に暮らし、何を夢見、何を恐れているのか?
崖っぷちに立たされたインディ・ジョーンズが虚空に身を投じるが如く、そこに受け止めてくれる橋、未知なるものの力があると信じ、彼女はパソコンに前を離れ、売り手に電話をかける。
 
・マイケル/Lサイズの黒革ジャケット/10ドル
 
最初に訪問した売り手、性転換手術の途中だという六十代後半の男性マイケルの迷いのなさは、ミランダを触発し、決意させる。
 
「書けないのなら、その書けなさととことん向き合うべきなんだ。決めた。もうパソコンの前には座らないし、あとちょっとでいいアイデアが浮かぶかもしれないなんて考えも捨てる。会ってくれる『ペニーセイバー』の売り手がいるなら、行って片っ端から会おう。それが自分の仕事であるかのように、真剣にやろう。」
 
・プリミラ/インドの衣装/各5ドル
・ポーリーンとレイモンド/大きなスーツケース/20ドル
・アンドルー/ウシガエルのオタマジャクシ/1匹2ドル50セント
・ベヴァリー/レパード・キャット(ベンガルヤマネコ)の仔/値段 応相談
・パム/写真アルバム/1冊10ドル
・ロン/六十七色のカラーペン・セット/65ドル
・マチルダとドミンゴ/〈ケア・ベア〉人形/2ドル〜4ドル
 
正直買い手がいるのか疑問に思う品物ばかりだったが、ミランダは彼等のリアルな存在感に圧倒される。
極端な話、売れるか売れないかの問題ではないのかもしれない。彼等はただ連絡をしてきた人と話をしたかっただけなのかもしれない。
自分の物語を。
 
「わたしは『ペニーセイバー』の売り手たちに「あなたはパソコンを使いますか?」としつこく質問しつづけた。(中略)もしかしたらわたしは、自分がいまいる場所ではパソコンは何の意味ももたないのだということを再確認したくて、そしてそのすばらしさを自分の中で補強したくて、その問いを発しているのかもしれなかった。もしかしたらわたしは、自分も感覚や想像力のおよぶ範囲が、世界の中のもう一つの世界、つまりインターネットによって知らず知らず狭められていくのを恐れていたのかもしれない。ネットの外に物事は自分から遠くなり、かわりにネットの中のものすべてが痛いくらい存在感を放っていた。顔を名前も知らない人たちのブログは毎日読まずにいられないのに、すぐ近くにいる、でもネット上にいない人たちは立体感を失って、ペラペラのマンガみたいな存在になりかけていた。」
 
ミランダが出会った人々は、ほとんどがパソコンを使わない、言いかえればパソコンの前を離れなければ絶対に出会えない、いわばネットの存在しないもうひとつのパラレルワールドの住人だった。
 
この広告を出した人はどんな人だろう?という好奇心は理解出来る。何より彼女は脚本のための突破口を探していたから必死だったんだろうし。
しかし、人の人生はそれぞれに重い。
わたしは、大して親しくもないのに自分の話ばかりする人は苦手なのだが、けっこう身の上話をされやすいタイプらしい。勿論、興味深く話を拝聴することもあるけれど、時にはうんざりすることもあるし、そして受け止めきれないこともある。
案の定、というべきか、当然、というべきか、ミランダも時に辛辣に売り手を評し、早々にインタビューを切り上げたくなるような事態にも遭遇する。インタビューは聞く側にもそれなりに負担を強いるのだ。
 
 
「わたしたちが訪ねたのはあらゆる生き物の原点のような場所だった。鼻が曲がりそうに臭くて、むっと甘ったるくて、生肉とくるくる巻いた角だらけで、彼女の顔はつぶれていて、生まれたてのほやほやのものから聖書時代のものまで、すべてのものが繁殖し異種交配しつづけている場所。わたしはそれを受け止めきれなかった。」
「ロンはまるで宇宙の中にある、けっして温まることのない冷点のようだった。それでもまだ心のどこかには、彼を信じるこの世でただ一人の人になりたい、彼にとっての唯一の例外になりたいと思う自分がいた。でも、とにもかくにも今は十六歳の自分の手をひっつかみ、未来のわたしの娘の手もつかんで、一目散に逃げたかった。」
 
良くも悪くも個性にあふれ存在感抜群の売り手たちは、脚本の突破口にはならず、逆に彼女は自信を失ってしまう。
 
「『ペニーセイバー』の売り手の人々があまりに面白くてリアルで存在感がありすぎるせいで、自分の脚本がどうしようもなくつまらないものに思えた。」
 
・ダイナ/コンエア社のドライヤー/5ドル
 
映画の主人公カップルソフィーとジェイソンは、二人ともミランダの分身だったが、彼女はジェイソンが答えを見つけるまでの経緯に悩んでいた。
しかし、古いドライヤーの売り手ダイナに会って、彼女は啓示を受ける。
ジェイソンが出会うのは、木を売ろうと(ジェイソンは環境保護団体のボランティアで木の苗木を売り歩いている)訪ねた人ではなく、『ペニーセイバー』の売り手であるべきだ。
ダイナ本人に出演してもらおう!
ところが、訪問の様子を再度演じてくれたダイナは、すっかり自然さを失い、ミランダをがっかりさせる。
 
 
 
ジョー/クリスマスカードの表紙部分のみ50枚/1ドル
 
すっかり気落ちしたミランダはもうインタビューは最後にしようと、売り手をがっかりさせないただそれだけのために出かけていく。
そして、出会ったのが、ジョーだった。
 
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妻と二人生活保護で暮らすジョーは、八十一歳。今は近所の未亡人ら外に出られない人のために買い物を代行したりする生活を送っている。
家の中の様子は、その人の人生を語る。
今まで共に暮らしてきたペットの写真。
妻キャロリンに年に9回、六十二年間送り続けてきたロマンティックで卑猥なカード。
がむしゃらに善をなそうと生きてきたジョーの人生。
彼こそが、ミランダそしてジェイソンを答えに導く人だった。
 
「自分の残りの人生について、もしかしたらわたしは計算ちがいをしていたのかもしれない。もしかしたら残りの人生は小銭なんかじゃないのかもしれない。数えきれないくらいたくさんの小さな寄せ集めー一つの祝日も、バレンタインも、新年も、うんざりするほど同じくらいことの繰り返しで、なのにどれ一つとして同じものはない。それで何かを買うことはできないし、もっと意味のあるものや、もっとまとまったものと引き替えることもできない。すべてはただ何ということのない日々で、それが一人の人間のー運がよければ二人のー不確かな記憶力で一つにつなぎとめられている。だからこそ、そこに固有の意味も価値もないからこそ、それは奇跡のように美しい。」
 
 
映画の中の
「君らの始まりはまだ終わっていないんだ」
というジョーの台詞は、とても重要で強く印象に残るものだったので、それが何度も間違えて撮り直した挙句の彼自身の言葉だったことに胸が熱くなった。
撮影後の後日談に至ってはもう涙なしには読めなかった。
 
「人間の生の営みの大半はネットの外にあって、それはたぶんこれからも変わらない。食べる、痛む、眠る、愛する、みんな体の中で起こることだ。」
「写真や動画やニュースや音楽をむさぼるわたしの欲求は底無しで、でももしも目には見えない何かが消滅しかかっていたら、どうやってそれに気づけるというのだろう?ネット以前のわたしの生活が今と極端にちがっていたというのではない。でもあのころ世界は一つしかなくて、すべてのものがそこにあった。」
 
今の子供たちはネット以前の世界を知らずに大人になる。
でもこれだけは知っておいてほしい。
目に見えない大切なものは、もう一つのパラレルワールドに存在するかもしれないということを。
ぜんぜんカッコ良くもなく、
時に惨めで痛々しく、滑稽な人生。
しかし、名もなきパラレルワールドの住人の豊かで美しい人生。
それこそが、この世界を素晴らしいものにしているのだということを。
 
この本は、ジョーとキャロリンのパターリック夫妻に捧げられている。
 

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●あなたを選んでくれるもの
  ブリジット・サイアー 写真
  新潮クレスト・ブックス
  IT CHOOSES YOU / Miranda July / 2011
 

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この本を元に製作されミランダ・ジュライ自身が監督した『ザ・フューチャー』の予告編はこちら👉映画『the Future ザ・フューチャー』予告編 - YouTube

 

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