極私的映画案内

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アクト・オブ・キリング

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まともな人間とまともでない人間と

 
殺人は許されない。犯した者は罰せられる。
鼓笛を鳴らして大勢を殺す場合を除いて。
                                                   ーヴォルテール
 
1965年、インドネシア政府は軍に権力を奪われ、
その後一年足らずの間に、軍の独裁に逆らう者、組合員、小作農、知識人、華僑などが「共産主義者」として告発され、100万人以上の人々が殺された。
実行者となったのは、“プレマン”と呼ばれるヤクザまがいの民兵集団だった。
65〜66年の大量殺人を主導したパンチャシラ青年団は、今も300万人のメンバーを誇るインドネシア最大の民兵組織であり、その集会には副大統領も参加するなど、今もインドネシア社会に影響力を持ち続けている。
 
殺人を自由に再現し撮影するよう依頼された当時の加害者アンワル・コンゴ、プレマンのリーダー、ヘルマン・コトらは、嬉々としてこの依頼を受け、その異様で、醜悪な姿をフィルムに残すことになる。
 
「大きなスクリーンで上映できるか、
テレビ放映だけかなどどうでもいい。
見せなきゃならん、これが歴史だと、
これが我々だと。
未来に記憶を残すんだ。
大作でなくていい。
パラマウントやMGMの映画みたいでなくていい。
ただシンプルなやり方で一歩一歩物語を伝えていくんだ。
俺たちが若い頃なにをしたのか」
 
撮影前、アンワルはこう語ったが、
彼らは自分たちの行為をどう認識していたのだろうか?
 
ヴィクトール・E・フランクルは『夜と霧』の
中でこう書いている。
 
この世にはふたつの人間の種族がいる。
いや、ふたつの人間しかいない。
まともな人間とまともでない人間と
 
殺人の再現という依頼を受ける事自体既に
「まともな人間」とは言えないが、
加害者のひとりアルワン・コンゴは悪夢に苦しめられ、
アディ・ズルカドリは「殺人は最悪の犯罪だ」と語り、
彼らもまた罪悪感を感じ、
善悪の判断が出来る人間であるように見える。
彼らの姿は、私を混乱させる。
だが、衣装を選び、髪を染め、
当時の殺人や拷問の場面を演じる彼らの様子はやはり「異様」としか言いようがない。
国営放送の番組に彼らが出演し、
映画の撮影についてインタビューを受けているシーンは、更に「異様」に映る。
インタビューする側に彼らに対する批判的な視点が一切ないのだ。
 
当時の彼らの行為が検証もされず裁かれてもいないことが、今の彼らの姿、そしてインドネシアという国の姿をも「異様」にしているのではないか?
 
やがて、被害者に扮し、
拷問され殺される場面を演じたアルワンに変化が現れる。
最初に自ら案内した当時の殺害現場を再び訪れた彼は嘔吐を繰り返す。
身体反応は、実に正直だった。
ここに至って、彼はようやく自分の行為がどういうものだったかを認識したのだ。
 
当時の行為が検証もされず裁かれもしなかった背景には、その後スハルト独裁政権が長く続いたということもあるだろう。
しかし、スハルト独裁を黙認した日本を含めた
西側諸国の責任も大きい。
彼らを「異様」なモンスターにしてしまった責任は私たち一人一人にもある。
 
「まともな人間」と「まともでない人間」の境界線はとても曖昧だ。
私たちは「まともでない人間」になる危険性と常に隣り合わせなのだ。
 
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    /THE ACT OF KILLING
(2012デンマークインドネシアノルウェー   /イギリス)
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
出演:アンワル・コンゴ,ヘルマン・コト,アディ・ズルカドリ,イブラヒム・シニク
 
撮影当初は被害者の取材をしていたものの、それを当局にやめさせられ、取材対象を加害者に変更したというジョシュア・オッペンハイマー
撮影の成り行き、特に結末は、彼の意図したものではなかっただろうが、
前代未聞の「殺人の再現」は、当事者にとっても、観る側にとっても衝撃を与えるものになった。