梅雨明けと同時に梅雨時のような肌寒さで、
例年酷暑に萎える読書ペースも落ちずに済んだ8月。
何と言っても、今月のベストは言葉選びのセンスがスーパークールだった多和田葉子『百年の散歩』。
アフリカ系アメリカ人とアフリカ人の人種問題に対する意識の差はこれを読まなければ知らなかったかもしれないチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『アメリカーナ』。
アディーチェは短編(『明日は遠すぎて』)も巧い。
SFに苦手意識のある方にもオススメしたいのは、
ケン・リュウ『母の記憶に』とカート・ヴォネガット『人みな眠りて』。
■アメリカーナ/チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
くぼたのぞみ 訳/河出書房新社
AMERICANAH/Chimamanda Ngozi ADICHIE/2013
ジュンパ・ラヒリ、イーユン・リー、ジェフリー・ユージェニデスなどこれまでにも米国に移り住んだ人々の物語は読んできたが、ナイジェリア人女性の視点で語る本作はとても新鮮だった。
「オールド・ファッションなラブストーリーを書きたかった」そうだが、やっぱり興味深いのはイフェメルが米国へ行って初めて直面した“人種問題”だ。
アメリカ黒人と非アメリカ黒人の間に存在する意識の違い、外国で学び帰国したナイジェリア人と故国との間の生じるズレ。
イフェメルはアメリカで傍目からみればかなり上等な二人の恋人(白人リベラル、アフリカ系アメリカ人)と付き合うが、二人の人種問題に対する態度に違和感を感じる。
結局それが故郷の恋人オビンゼの元に戻る動機のひとつにもなっていくのだが、一筋縄にはいかない人種問題の複雑さについて考えさせられた。
ナイジェリアにいる間は自分が黒人だと意識したことのなかったイフェメルの姿と日本に生まれて暮らしている日本人が重なる。
日本人だって海外に出れば、間違いなくマイノリティであり、差別される側の存在だ。
“ラブストーリー”の効用は、イフェメルの運命の人であるオビンゼの視点を獲得出来たことだろう。
彼の視点があることでストーリーが重層的になっているし、彼がイギリスで経験した挫折は海外に出たナイジェリア人のもうひとつの物語だ。
イフェメルの物語は、自分が自分らしくいられる場所(あるいは自分が自分らしくいられる誰か)を探す旅でもある。
恋愛というのは、自分がどういう人間なのかを知ることなんだとあらためて思う。
- 作者: チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ,くぼたのぞみ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/10/25
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■人みな眠りて/カート・ヴォネガット
大森望 訳/河出書房新社
While Mortals Sleep:Unpublished Short Fiction /Kurt Vonnegut /2011
カート・ヴォネガット未発表作品を集めた短編集の第二弾。第一弾『はい、チーズ』を読んだ時にも感じたことだが、第二弾もこれがなぜ未発表だったのか?という粒ぞろいのクオリティ。
ヴォネガットというとSF作家という認識の人も多いだろうが、収録作品の中でSF要素を感じさせるのは「ジェニー」くらいのもの。
お気に入りはクリスマス嫌いの新聞の社会部部長ハックルマンがクリスマス精神に目覚める表題作「人みな眠りて」、鉄道模型に夢中で妻を蔑ろにした男が母親に強烈な釘を刺される「スロットル全開」あたり。
オチが絶妙です。
「ガール・プール」「ルース」など女性が主人公の話でも女性作家かと思うくらいに心理描写が巧み。
ヴォネガットの作家としての懐の深さを感じさせてくれる一冊です。
(収録作品)
⚫︎ジェニー Jenny
⚫︎エピゾディアック The Epizootic
⚫︎百ドルのキス Hundred-Dollar Kisses
⚫︎人身後見人 Guardian of the Person
⚫︎スロットル全開 With His Hand on the Throttle
⚫︎ガール・プール Girl Pool
⚫︎ルース Ruth
⚫︎人みな眠りて While Mortals Sleep
⚫︎消えろ、束の間のろうそく Out,Brief Candle
⚫︎タンゴ Tango
⚫︎ボーマー Bomer
⚫︎賢臓のない男 The Man Without No Kiddleys
⚫︎ミスターZ Mr.Z
⚫︎年に一万ドル、楽々と $10,000 a Year,Easy
⚫︎金がものを言うMoney Talks
⚫︎ペテン師たち The Humbugs
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- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/04/27
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■百年の散歩/多和田葉子
新潮社
フィクションともエッセイとも言い難い不思議な味わい。実在するベルリンの通りや広場の名を冠した章で構成されている。あの人を待ちながら歩く通りや広場、目に映る景色や店や人々の姿、刺激された想像力が解き放たれる。
「渡し船には乗らず、横断歩道のシマウマの背中に乗って渡った」
「驚きはミミタブの裏側をカタツムリのようにゆっくりと這い上がった」
(『レネー・シンテニス広場』)
逆立ちしても出て来ないようなハッとする表現にため息。他言語で暮らしているからより洗練された日本語で表現できるのだろうか?全編、素晴らしかった。
「レネーシンテニス広場」のレネーシンテニスはベルリン国際映画祭のトロフィーのクマを制作した彫刻家。通りや広場の名前になったその人への興味もわくし、その場所の歴史にも思いを馳せたくなる。
「蜘蛛を嫌う人、汚職を嫌う人、にんじんを嫌う人、
ナイロンを嫌う人、いろんな人がいていい。
でもユダヤ人を嫌うということはありえない。
トルコ人を嫌うということはありえない。
中国人を嫌うということはありえない。
自分の傷が腐食しかけているのに治療する勇気を出せない憶病者が、無関係な他人に当たり散らしているだけだ。」
(『トゥホルスキー通り』)
「子供は背後に無限に広がる空間に一歩づつ踏み込んでいく。未知の空間での冒険がこんなに日常的な時間に含まれていることを知っているのは子供たちだけだ」
(『コルヴィッツ通り』)
「あの人は言った。若葉がきれいなのは数日間だけだ、と。すぐに色がくすんでしまう恋愛に似ている。必ずくすんで、それから先の時間はずっと失った色のことが気になっている。無理だとわかっていても取り戻そうとする。取り戻せないので再現しようとする。演じようとする。もしも喪失も恋愛のうちならば、ハカナイということにはならない。むしろいつまでも終わらないことが苦しいくらい。恋の時間は長い。」
(『トゥホルスキー通り』)
(収録作品)
⚫︎カント通り
⚫︎カール・マルクス通り
⚫︎マルティン・ルター通り
⚫︎レネー・シンテニス広場
⚫︎ローザ・ルクセンブルク通り
⚫︎プーシキン並木通り
⚫︎リヒャルト・ワグナー通り
⚫︎コルヴィッツ通り
⚫︎トゥホルスキー通り
⚫︎マヤコフスキーリング
- 作者: 多和田葉子
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身体の一部を共有し、この世に生を受けたゲオルグとユリアンの双子。
名家の跡取りとして育てられ、長じて新大陸アメリカに渡り、著名な映画監督となるゲオルグと、
存在を抹消され影として生きるユリアン。
双子が辿る数奇な運命が1920年代のサイレント時代のハリウッドと退廃のムード漂う上海租界という魅力的な舞台を背景に描かれる。
ユリアンと一緒に育ったツヴェンゲルというキャラクターは双子のストーリーをひとつにする重要な存在であり、彼の視点が物語に奥行きを与えている。
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『マインド・ゲーム』『ピンポン』の湯浅政明監督でアニメ化され観たかったのだが、観逃してしまったので、先ずは原作。
『有頂天家族』と舞台、世界観を共有する作品なのですぐに入り込めたし、今どきなかなか思いが伝えられない奥ゆかしさというかじれったさも、
我が道を行くヒロインの天然ぶりもまた良し。遠回りして見える景色はきっとあるし、
遠回りしてこそ物語が生まれる。
しかし、酒豪のヒロイン、未成年じゃないだろうか?
糺ノ森の古本市、行ってみたいな〜。
“古本市の神”はきっと狸が化けてるんだと思う。
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■母の記憶に/ケン・リュウ
古川嘉通 他訳/早川書房(新・ハヤカワ・SF・シリーズ)
MEMORIES OF MY MOTHER AND OTHER STORIES /KEN LIU/2017
かつての私がそうだったようにSFに苦手意識のあるひとにこそオススメしたいのが、ケン・リュウの短編集。
前作の『紙の動物園』もそうだったように、
ケン・リュウの紡ぐストーリーはSF要素はほんの一部であって、まず、その世界観を理解しなければストーリーに入り込めないというものではない。
今作にはごく短いものから中編と言ってもいいようなものもあるが、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を思わせるごく短い表題作『母の記憶に』、身体機能を拡張強化した女探偵が娼婦殺しの犯人を追う中編『レギュラー』辺りがお気に入り。
中国で生まれアメリカで教育を受けた著者の出自が活かされたゴールドラッシュのサンフランシスコが舞台の『万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語』、中国の史実に材をとった『草を結びて環を銜えん』も良かったです。
(収録作品)
⚫︎烏蘇里羆(ウスリーひぐま)The Ussuri Bear
⚫︎草を結びて環を銜えん
Knotting Grass,Holding Ring
⚫︎重荷は常に汝とともに
You'll Always Have the Burden with You
⚫︎母の記憶に Memories of My Mother
⚫︎シミュラクラ Simulacrum
⚫︎レギュラー The Regular
⚫︎ループの中で In the Loop
⚫︎状態変化 State Change
⚫︎パーフェクト・マッチ The Perfect Match
⚫︎カサンドラ Cassandra
⚫︎残されし者 Staying Behind
⚫︎上級読者のための比較認知科学絵本
An Advanced Reader's Picture Book of Comparative Cognition
⚫︎訴訟師と猿の王
The Litigation Master and the Monkey King
⚫︎万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語
All the Flavors
⚫︎『輸送年鑑』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)
The Long Haul:From the ANNAL OF TRANSPORTATION,The Pacific Monthly,May 2009
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👇ケン・リュウの前作『紙の動物園』もオススメ
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■ドローンズ・クラブの英傑伝/P・G・ウッドハウス
〈ジーブス〉シリーズでもお馴染みの紳士のクラブ、ドローンズ・クラブを舞台(というよりもクラブに出入りする紳士?たちを主人公にした)にした短編集。
途轍もなく惚れっぽいフレディ、大金持ちのくせにいつも一攫千金を狙っているウーフィー、妻に頭が上がらないビンゴ、彼らが起こす騒動はワン・パターンと言えばワン・パターンかもしれないが、戦争の足音響く不穏な時代にあっても、戦後の混乱期にも一貫して届けられたウッドハウスのユーモア小説がどんなにイギリス国民を楽しませたかは想像に難くない。
- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
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■私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝/中原一歩
確かにカツ代さんが鉄人・陳建一と対決した『料理の鉄人』はよく覚えてるし、伝説の回だったと思う。どんな一流シェフの挑戦者が登場しても結局は鉄人の勝利に終わることが殆どだったので、“家庭料理”のプロであるカツ代さんの勝利に胸のすく思いをした人も少なくなかったんじゃないかな。家に普通にある材料で美味しいものを作るっていうことは、外で美味しいものを食べること以上に大事なことだと思う。カツ代さんのレシピはそれを実践したものだし、この分野では先駆者だったと思う。
本のタイトル通り、カツ代さんのレシピ本は亡くなった後も出版され、自分で美味しいものを作りたいという老若男女に読まれ続けている。
カツ代さんの肉じゃが、私も作り続けます。
- 作者: 中原一歩
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■明日は遠すぎて/チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
大長編『アメリカーナ』を先に読んでしまったので短編の印象は全くなかったのだが、
いや〜短編も巧いです。
『アメリカーナ』の中の一章にもなっている「シーリング」も収録しているが、『アメリカーナ』が人種問題抜きに語れなかったのに比べると、
ここに収録された作品は、妻子の男と交際中の女性や結婚式を控えた母と娘や男性社会で働く女性の姿など、より普遍的で共感しやすいものになっていると思うし、アディーチェが様々なジャンルの作品が書ける作家だということを証明していると思う。
(収録作品)
⚫︎明日は遠すぎて Tomorrow Is Too Far
⚫︎震え The Shivering
⚫︎クオリティ・ストリート Quality Street
⚫︎先週の月曜日に On Monday of Last Week
⚫︎鳥の歌 Birdsong
⚫︎シーリング Ceiling
⚫︎ジャンピング・モンキー・ヒル
Jumping Monkey Hill
⚫︎セル・ワン Cell One
⚫︎がんこな歴史家 The Headstrong Historian
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