極私的映画案内

新作、旧作含め極私的オススメ映画をご案内します。時々はおすすめ本も。

メッセージ


わたしの人生の物語


ある日突然、世界中の12箇所に謎の飛行物体が現われる。
彼らの目的も意図も不明という状況の中で、
軍のウェーバー大佐は、言語学の第一人者ですでに一度軍に協力した経験のあるルイーズ・バンクスにエイリアンの声の解析を依頼する。
ルイーズは直接対話することが必要だと主張する。
言語学者のルイーズと物理学者のイアン・ドネリーがコンビとなって、言語学、物理学の両面から彼らへのアプローチを図ることになるが、
果たして彼らは何のために地球にやって来たのか?
この星の住人になにを伝えようとしているのか?


ルイーズとイアンは七本の足(?)を持つヘプタポッドにアボットコステロと名付ける。
彼らとのセッションの中でルイーズは彼らの話す言葉ではなく、書く言葉に注目する。
一方で、彼女はあるフラッシュバックに何度も襲われていた。
そこに登場するのは、幼い少女の生と死。
ルイーズは結婚したことも、子どもを産んだこともない。
少女はルイーズの娘なのか?


ヘプタポッドの文字の解析が進む中、
ルイーズは気付く。
これは文字を順番に綴って意味を伝える人類の言語とはまったくの別物だと。

一方、各地のヘプタポッドは、“彼ら”の目的は人類に武器を与えることだと伝える。
これを脅威と捉えた各国は次々と通信を遮断。
“彼ら”への攻撃準備を着々と進める。
ルイーズはこの危険を知らせるため制止をふりほどきイアンと共にヘプタポッドの元へと急ぐ。
ヘプタポッドは伝える。
“彼ら”の目的は人類に贈り物をすることだと。3000年後に人類に助けてもらうために。
ルイーズは“彼ら”は時間を超越した存在だと悟る。
そして、フラッシュバックは彼女の未来の記憶であり、少女は彼女の娘だと。


自由意志で運命を変えることは出来ない
ルイーズはペプタポッドとのセッションを通じ彼らの時間概念を獲得し、こう認識する。


娘との記憶は未来、
ペプタポッドとのセッションは過去。
そして現在、ルイーズはイアンと一緒に気持ちのいい夜を過ごしている。

ルイーズは大きな選択の時を迎えている。
悲劇を避けるための選択をするのか?
それとも、たとえなにが起こるのか知っていても同じ選択をし、その人生の一瞬一瞬を慈しみ、生きていくのか?

ルイーズは選択する。
あなたの人生の物語を、
そしてわたしの人生の物語を。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
原作者テッド・チャンは『あなたの人生の物語』の〈作品覚え書き〉の中で、こう書いている。

この話は、物理学の変分原理に対する興味から生まれた。はじめてこの原理を学んだ時からずっと魅力的な原理だと思っていたのだが、乳ガン闘う妻を題材にしたポール・リンケの一人芝居、〈生きている君いると時が立つのを忘れる〉を見るまで、小説のなかにこの原理を生かす方法が見当たらなかった。芝居を見て、人が避けられない事態に対処する話のなかで、変分原理を使えるかもしれないと思いついた。
数年後、その考えと、新しく母となった友人が生まれたての赤ん坊について口にしたことと合体して、この話の核になった。


ポール・リンケはTVシリーズ『白バイ野郎ジョン&パンチ』などに出演していた俳優で、妻が余命宣告された時、夫妻は子どもを作ろうと決めたのだという。
この夫妻の決断が、物語の中でのルイーズの決断につながっている。
テッド・チャンは更にこう続けている。


この話のテーマをもっとも端的にまとめたものは、
スローターハウス5』二十五周年記念版の自序でカート・ヴォネガットが語っている次の文章といえようー
スティーヴン・ホーキングは……われわれが未来を思い出すことができないのをじれったく思っている。
ところが、未来を思い出すことなど、いまのわたしには児戯に等しく思える。
わがよるべなき、疑うことを知らぬ赤ん坊たちがどうなるか、わたしにはわかっている。なぜならば連中はもうおとなになっているからだ。わが親友たちがどんな最期を迎えるのか、わたしにはわかっている。なぜなら彼らの多くが引退したり、死んじまっているからだ……。
スティーヴン・ホーキングや、ほかのわたしより若い連中にこう言ってやりたい。
「しんぼうしていたまえ、諸君の未来は、諸君が何者であろうと、足下に寝そべるだろう」と』


カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』は、現在、過去、未来という時間概念を持たない宇宙人に攫われた主人公が自身の現在、過去、未来をデタラメにタイムトラベルする話。
第二次大戦中ドイツ軍の捕虜となっていたヴォネガットドレスデンで連合国軍(味方)の大空襲にさらされるという自身の経験が色濃く反映している作品です。

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⚫︎メッセージ/Arrival (2016 アメリカ)
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本:エリック・ハイセラー
原作:テッド・チャンあなたの人生の物語
早川書房(ハヤカワ文庫)
撮影:ブラッドフォード・ヤング
音楽:ヨハン・ヨハンソン
出演:エイミー・アダムスジェレミー・レナーフォレスト・ウィテカーマイケル・スタールバーグ,マーク・オブライエン,ツィ・マー



ほぼノーメイクであろうルイーズ役のエイミー・アダムス。40代を迎えてますます美し!



『ハートロッカー』や『28週後…』のイメージが強くてただでさえ軍人顔のジェレミー・レナー
もう少し物理学者っぽく見えるシーンが欲しかった!



テッド・チャンの傑作小説『あなたの人生の物語』をシナリオにするという高難度なミッションに挑んだのは『ライト/オフ』のエリック・ハイセラー
小説からの改変についてはシナリオの草稿段階から目を通していた原作者のテッド・チャンも納得していたという。
小説の読者層と映画の観客層は自ずと異なる。
映画ではより広い層を想定した、たとえば、ヘプタポッドを恐れた大尉の行動など、より映画的な仕掛けが必要だったのも致し方のないところだっただろうし、各国の対応が一枚岩とは言えない辺りはより現実的かもしれない。
ただ、ルイーズがヘプタポッドの表義文字(セマグラム)にヒントを経て、ゲーリー(映画ではイアン)の物理学的示唆(フェルマーの最小時間の原理)を得て、彼らヘプタポッドが現在、過去、未来という時間の概念を超えた種であることを認識するという過程が映画にはなかったのは残念だった。
因みに、フェルマーの最小時間の原理とは、
光が二点間を移動する時に必ず最小時間(あるいは最大時間)で到達するルートを選ぶ、ということは光は最初から到達点(未来)を知っていることになる、
と大雑把に言えばそういう原理。
(物理学はさっぱりなのでこれ以上の説明は出来ません。ごめんなさい。)
映画では、“彼ら”が3000年後に人類に助けられるために贈り物をしにきたというメッセージを伝えたことでルイーズは“彼ら”が時間を超越した存在だと悟り、フラッシュバックが彼女の未来の記憶であることを知る。
原作では、“彼ら”の目的は最後までわからずじまいだ。
ルイーズが見ることの出来る未来はあくまでも自分の未来、“わたしの人生の物語”であり、ごくパーソナルな物語だったのだ。
しかし、映画では、人類による“彼ら”への攻撃という一触即発の状況を作り出したがゆえに、ルイーズはシャン上将の未来までも見えたことになっていて、ごくパーソナルな物語という原作のコンセプトが少し歪められてしまったように思う。


ペプタポッドの“声”など音響効果も印象深いが、
ヨハン・ヨハンソンの音楽も素晴らしかった。
とても印象的に使われているのは、マックス・リヒターのOn the Nature of Daylight 。
これはルイーズという人間のとても個人的な物語。
音楽は彼女の心情に終始寄り添っていたと思う。
マックス・リヒターMax Richterの「On the Nature of Daylight」はこちら👉Max Richter - On the Nature of Daylight - YouTube


撮影はブラッドフォード・ヤング
これまでの仕事を見ていくと、
『グローリー/明日への行進』の50年代、『セインツー約束の果てー』『完全なるチェックメイト』の70年代、『アメリカン・ドリーマー理想の代償』と時代色を出すのが巧みという印象だが、今作のSF作品でさらに表現の幅を広げている。
今後も楽しみな撮影監督です。

公式サイトはこちら👉映画『メッセージ』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

予告編はこちら👉映画『メッセージ』本予告編 - YouTube

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👇テッド・チャンによる原作(短編集)『あなたの人生の物語』はこちら

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

👇ヨハン・ヨハンソンによるサウンドトラックはこちら

『メッセージ』(オリジナル・サウンドトラック)

『メッセージ』(オリジナル・サウンドトラック)


👇テッド・チャンが影響を受けたであろうカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』はこちら

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ビリー・リンの永遠の一日


このクソったれな世界で


2004年11月25日。
ブラボー分隊の面々を乗せた白いハマー・リムジンはダラス・カウボーイズの本拠地テキサス・スタジアムに向かっている。
イラク、アル・アンカサール運河の戦闘で目覚ましい活躍を見せたブラボー分隊は、現場にFOXニュースの撮影クルーが同行していたことから映像が世界中に配信され、一躍戦争のヒーローに祭り上げられた。
感謝祭のダラスカウボーイズ対シカゴベアーズ戦は、
2週間に渡る凱旋ツアーの最終目的地である。
ハーフタイムショーのゲストはディスティニーズ・チャイルドだ。
リムジンにはブラボー分隊の戦闘を題材にした映画を製作しようと動いているハリウッドのプロデューサー、アルバート・ラトナーも同乗している。
ブラボー分隊は2日後には再びイラクに戻る。
携帯電話ひっきりなしに話しているアルバートはそれまでになんとか契約に持ち込みたいのだ。

トーリーの語り手は、
19歳のビリー(ウィリアム)・リン特技兵。
高校卒業を間近に控えたビリーは、交通事故で重傷を負った二番目の姉キャスリンを捨てた婚約者の車をボコボコにした挙句バールを持って追いかけ回し、訴追を免れる代わりに入隊し、イラクに送られた。

憧れだった巨大なスタジアム。
招待されたスタジアム・クラブ。
日曜版の広告のような新旧取り混ぜた豪華な感謝祭料理。
信じられないほど美しく健康的なチアリーダー達。
熱烈な歓迎と称賛、浴びせられる感謝の言葉の中でビリーが感じているのは、喜びや興奮よりも、
むしろ憂鬱、居心地の悪さだ。
クソったれな気分


彼らの年齢がいくつであれ、人生での地位がどうであれ、同胞のアメリカ人たちのことをビリーは子供であると考えずにいられない。
彼らは大胆で、誇り高く、自信たっぷりだ。
自尊心に恵まれすぎた賢い子供のようであり、
どれだけ教え諭しても、戦争が向かう先の純然たる罪の状態に彼らの目を開かせることはできない。
ビリーは彼らを憐れみ、軽蔑し、愛し、憎む。
こうした子供たちを。
こうした男の子たち、女の子たちを。赤ん坊たち、幼児たちを。
アメリカ人は大人になるためにーそしてときには死ぬためにーよそに行かなければならない子供なのだ。


この小説は、イラク版『キャッチ=22』と言われているそうだが、ここで兵士達が囚われている場所は、
戦場ではなく巨大なスタジアムだ。
全米各地を回る凱旋ツアー。
感謝祭のカウボーイズ対ベアーズ戦。
戦場の英雄たちの凱旋ツアーの最終目的地。
まさに彼らは戦意高揚のための宣伝部隊である。
彼らの過酷な経験をネタにひと儲けしようとする映画業界。
テレビの前の安全地帯から彼らを称賛し、
愛国精神満載の称賛の言葉(「誇らしい!」)を浴びせ、写真やサインを求める戦争を知らない大衆
熱狂的な歓迎と浴びせられる称賛の中で露わになるのはどうしようもなく深い分断だ。

ダイム軍曹は称賛者に戦況を問われてこう答える。


「定義から言えば、極端な状況にいるわけです。
互いに相手を殺そうと必死なわけですから。
でも、私には全体像を話す資格なんて到底ありません。
私が自信を持って言えるのはこれだけです。
相手を殺そうという意図を持って力と力の戦いをするのは、本当に精神に変化をもたらす経験だってこと」


おまえの知らねえことについて話すんじゃねえよ、
とビリーは思う。
そしてそこにこそこうした邂逅の力学が潜んでいるのだ。
ブラボーたちは経験者だという高い位置から話す。
彼らは本物で、リアルだ。
たくさんの死に対峙し、たくさんの死を受け入れ、
その匂いを嗅ぎ、口で味わった。
それが彼らの有利な点だ。
アメリカは自らに課した男らしらの基準からすればその資格を持っているのがごくわずかだというのは何とも面白い。
“なぜ我々は戦うのか”って言うが、“我々”って誰だ?
ここはホラ吹きとハッタリばかりの臆病なタカ派の国、
そのなかでブラボーたちは常に血という切り札を手に持っているのだ。


戦地に送る人間と送られる人間との大きな溝。
この溝が埋まることのないことを知っている兵士達の深い諦念に胸が苦しくなる。

18歳まで家と学校という限られた場所で生きてきたビリー。
人生について、生と死について、社会のシステムについて、政治について、何も知らなかった。
これからあらゆる事を自分自身の頭で考え始める、
正にそういう時期にビリーは戦場という過酷で極端な現実に放り込まれたのだ。
“戦場の哲学者”シュルームの影響で本を読み始め、
ノースカロライナ大中退の“クソリベラル”ダイム軍曹の態度に学び、
メキシコ系、アフリカ系、あらゆる人種の同僚と友情を育み、
そして戦友の死を経験し、
ビリーは成長し、考える。
何の為に戦うのか?
自分たちを戦場に送った国とは何か?
愛国心とは何か?
アメリカ人とは、一体どういう人たちなのか?

19歳のビリーが見た、アメリカという国の真実の姿がここにはある。


ちなみに、小説の中でカウボーイズは7対31の大差で敗戦するが、2004年11月25日、実際のベアーズ戦では21対7でカウボーイズ勝利している。
ここでは敗戦がより相応しい試合結果だということはこの小説を読んだ方なら同意するところだろう。
ビリーとダイムの役を演じることに興味をしめすヒラリー・スワンクをはじめ監督のロン・ハワード、プロデューサーのブライアン・グレイザージョージ・クルーニーマーク・ウォールバーグ等多数のハリウッドスターが実名で言及されるが、カウボーイズのオーナー、選手名についてははすべてフィクション。
(過去の名選手については実名)
登場するカウボーイズ関係者はほとんど
相当なクソったれなので、
これは当然だろう。

小説の中でも、カウボーイズのオーナーノームが記者達から新スタジアムについて質問される場面があるが、カウボーイズ偉大なハーフタイムショーの舞台となったテキサス・スタジアムから2009年新スタジアムAT&Tスタジアムに移転。
(建設には公金が投入され、住民には特別消費税が課せられた)
テキサス・スタジアムはオープンから39年目の2010年爆破解体されている。

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⚫︎ビリー・リンの永遠の一日
ベン・ファウンテン
上岡伸雄 訳
新潮社(新潮クレスト・ブックス)
BILLY LYNN'S LONG HALFTIME WALK
BEN FOUNTAIN/2012


👇ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』はこち

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)



ところで、今作はすでにアン・リー監督(『ブロークバック・マウンテン』『ライフ・オブ・パイ』)によって映画化されており、日本でも2月11日に公開が予定されていたのだが、賞レースに絡まなかった所為なのか、残念ながら公開延期。
かなりのハリウッド批判でもあるので賞レースに絡まなかったのは、その辺りにも理由があるのかもしれない。

タイトルロールのビリーには新人のジョーアルウィン、ブラボー達のリーダーダイム軍曹にギャレッド・ヘドランド、ビリーのメンターにして“戦場の哲学者”シュルーム軍曹はヴィン・ディーゼル、ビリーの姉キャスリンにはクリスティン・スチュワート、ハリウッドの映画プロデューサーはクリス・タッカーカウボーイズのオーナー“ノーム”ことオグルズビーにはスティーヴ・マーティンというなかなかの豪華布陣。

特に、『ワイルド・スピード』シリーズ等アクションのイメージが強いヴィン・ディーゼルが内省的なシュルームというキャラクターをどう演じるのかは楽しみだし、最近の充実した活躍ぶりには目を見張るクリスティン・スチュワートにキャスリン役はぴったりだと思う。
なんとか早期の劇場公開を願いたい。

しあわせへのまわり道

HOW TO DRIVE=HOW TO LIVE


14年前インドから政治亡命してきたダルワーン・シン・トゥールはかつて大学の教師だったが、ここNYでは自動車の教習とタクシー運転手の二足の草鞋を履き、甥プリートのほか、故国から不法入国してきた同胞の面倒をみていた。
ある晩、彼はひと組のカップルを乗せる。
どうやら別れ話を夫の方が切り出したらしい。
夫には愛人がいるようで、夫婦は激しい口論の末、
夫は先に車を降りてしまう。

夫に捨てられた女ウェンディはNYのアッパーウエストサイドに暮らす人気書評家。
大学の教員の夫テッドと結婚21年。
二人の間には大学生の娘ターシャがおり、
公私ともの充実している、はずだった。
しかし、そう思っていたのはウェンディだけだった。
本ばかり読んでその世界にどっぷり浸かっていたウェンディはいつしか十分に夫にに目を向けることもなく、
気づけば夫は他の女の元へ走っていた。

あくる日ひとり娘のターシャが会いに来る。
ターシャ大学を休学してバーモントの農場で働いている。
「ママも来て農場で原稿を書いたら?」
と言うターシャに車の運転が出来ないとか駅から遠すぎるとかネットも通じないとか言い訳を並べるウェンディ。
ウェンディに気分転換させたいターシャ。
パパが戻ったら一緒に会いに行くと答えるウェンディ。
彼女は、こんな夫の気まぐれはこれまでに何度もあった、きっとそのうち戻ってくると高を括っていたのだ。
しかし、ターシャに
「パパはもう戻ってこない。
法的別居の申請をした」

と聞かされショックを受ける。

そこへダルワーンが忘れ物を届けにやって来る。
タクシーの屋根の5時間レッスンの宣伝を目にしたウェンディは発作的に車の免許をとることを決意する。
こうして、クイーンズ在住の敬虔なシーク教徒ダルワーンとアッパーウエストサイドの人気書評家ウェンディ、ふたつの異なる世界の住人が出会うことになる。


「言葉に関わる仕事がしたかったの」

何故書評家という職業を選んだのかと問われ
ウェンディはこう答えるが、
この映画の中にも面白く、
そして滋味深い名台詞がいっぱい。


「人間というのは時に思いがけない行動に出る」

これは教習中にダルワーンが運転中は周囲の人々に注意するよう言うシーンの台詞。
「本当にね」
と答えるウェンディはこの中に離婚という不意打ちを食らわせた夫テッドを思う。


ウェンディの離婚騒動を慰める妹デビーとのシーンではこんな会話。

デビー
「妻以外の女と寝る男って最低
プールでオシッコするのと同じよ
誰も見てなくても水は確実に汚れていく
なのに、すましてるなんて

ウェンディ
「どこで出会うの?
アバズレを売る自販機?」

デビー
「若い女なら誰でもいいのよ
いろいろ教え込める
朝イチの“おしゃぶり”(ブロージョブ)とか」

ウェンディ
「テッドも望んでたかも」
デビー
「男にとっては極楽よ」
ウェンディ
「やらなきゃ」
デビー
「やる方は大変。
だから“仕事”(ジョブ)なの
そうでしょ
私の口は定年よ。年金も欲しい」


教習中のダルワーンのアドバイス

「人生で何が起こっていようと路上には持ち込むな。
ハンドルを握っている時はそれが全て。
いまを生きてる。君の人生だ。大切にしてほしい。」


そしてこれは縦列駐車を教えている時のアドバイス

ダルワーン
「シチューを作る時塩加減はどう確かめる?」
ウェンディ
「味見する」
ダルワーン
縦列駐車で車の向きが分からない時は?」
ウェンディ
「味見?」
ダルワーン
「ほんの少しバックしてどちらに向かうか見る。
“方向の味見”だ」

ウェンディ
「足りない時は…」
ダルワーン
「少しずつ調節していけばいい」

これは後に新居の住み心地をダルワーンに聞かれた際のウェンディの台詞で回収される。

「味見しながら調整中よ」


教習中雷雨に見舞われパニックに陥ったウェンディは急ブレーキを踏み、後続の車に追突されてしまう。

「まっすぐ進めばよかったのになぜ停まったんだ?
悪いことは一瞬で起こる
それで全てを失うんだ」


結婚相手で初対面のジャスリーンをダルワーンが空港に迎えに行くシーン。

ウェンディ
「本当に初対面の女性と結婚するの?」
ダルワーン
「私の故郷に近い村の出身だ。妹が選んだ。」
ウェンディ
「私の妹なら絶対おかしな男を選ぶわ」
ダルワーン
「君らは裕福だ
だから孤独でイかれてるのさ」


初対面の女性と結婚したダルワーンが信じられないウェンディにダルワーンはこう答える。

シク教徒の家族は互いを本人より理解してる。
だから正しい相手を選べるんだ。
自分で選べばエゴゆえにはんだんを誤ってしまう」


最初の試験に落第したウェンディ。

「無理よ。私が得意なことは一つだけ。
周りの人たちを無視することだもの
孤独な人間にはそうなる理由がある。
私は夫を無視したわ。裏切られて当然よ。
裏切り者は私。
私が愛していたのは彼より言葉なんだもの」

「この世は愛を邪魔するものだらけ。
なのに夫婦で“1つの魂”になれるなんて」

「教えて
もし奥さんが何らかの形であなたを失望させたら、
彼女を裏切る?」

「いや、決して」
と答えるダルワーン

「あなたは誠実ね。私の救いよ」

実はジャスリーンと上手くいっていないダルワーンはウェンディに彼女になんと言えばいいかアドバイスを求める。ウェンディはこう答える。

「“これから君を理解していく。必死で頑張る。
違うを乗り越えるべく日々闘う。
君にはその価値がある”」


ターシャが農場に残りたがっていたのは恋人の存在があったからだが、彼が地元に戻ってしまい、彼女はウェンディと一緒に暮らしたいと言い出す。

「挫折したまま逃げてきたら
いつまでも心に傷が残る
農場に戻って収穫までやり通しなさい
けじめをつけるの」

これはターシャに対する助言のようで実はウェンディの自分自身への言葉である。
彼女はもう一度試験に挑戦する。


「運転とは自由を手にすることだ」

初めて車を運転したときのことを思い出してみよう。
恐るおそるアクセルを踏んで車が動き出した時、
ウェンディと同じように思わず「動いた!」と感動しなかっただろうか?
自分の体重の何倍もの大きなものを動かしているというある種の力を感じなかっただろうか?
まさに「自由を手に入れた」感覚。
タクシーバス、あるいは誰かに運転してもらっても同じ距離を移動することは出来る。
しかし、自分で運転して移動するということはそれとは全くの別物である。

人生においては誰もが避けては通れない痛手。
それは、仕事上の挫折かもしれないし、
大切な誰かとの別離かもしれない。
そんな時立ち上がって再び前に進むために必要なものは何だろう?
それは、前の車を追い越すときのダルワーンのアドバイスに凝縮されている。

「必要なのは少しの勇気とアクセルだ」

新しいことに挑戦する少しの勇気と
やり遂げるための後押し。
それがウェンディにとって必要だった。

思いがけない事態に冷静に対処すること、
味見しながら調整すること。
車を運転することと、どう生きていくかということの間には意外と共通点が多いのだ。

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⚫︎しあわせへのまわり道/Learning to Drive
(2014 アメリカ)
監督:イザベル・コイシェ
原作:キャサ・ポリット『Learning to Drive』
脚本:サラ・ケルノチャン
出演:パトリシア・クラークソンベン・キングズレー,ジェイク・ウェバー,グレイス・ガマー,サリタ・チョウドリー,アヴィ・ナッシュ,ジーナ・ジャリーン,サマンサ・ビー,マット・サリンジャー、ラジカ・ブリ



グリーンのノースリーブのワンピースがとってもお似合いのパトリシア・クラークソン
お気に入りの作家が夫の愛人だと知り、
手のひらを返し尻軽女とこき下ろす率直さ、
無事試験に合格してぴょんぴょんジャンプして喜ぶ姿もキュート!



インド人ドライバー役のベン・キングズレー
最近ではインド人俳優がハリウッド映画に出演することも多い。
彼がキャスティングされたのはやはり『ガンジー』の影響だろうと思ったが、ベン・キングズレーは母親がイギリス人父親がインド人のハーフ。


ウェンディの浮気夫を演じるのはTVシリーズ『ミディアム』で霊能者アリソン(パトリシア・アークエット)良き夫だったジェイク・ウェバー。良き夫良き父親のイメージ強し!


ウェンディの娘ターシャ役はグレイス・ガマー。
大女優メリル・ストリープの娘。
お母さんに 似てるというよりもお姉さんのメイミー・ガマーとそっくりで見分けがつかない。



公式サイトはこちら👉映画『しあわせへのまわり道』公式サイト

予告編はこちら👉パトリシア・クラークソンとベン・キングズレー共演!映画『しあわせへのまわり道』予告編 - YouTube


👇『しあわせへのまわり道』のBlu-rayはこちら

今月の読書 〜2017年3月,4月〜

3月はバカみたいに映画ばっかり観てたというのもあるのですが、読み始めたニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』に難儀しまして読了出来ずにそっと図書館に返却、
結局一冊(佐藤亜紀『吸血鬼』)しか読了出来なかったんで4月分と一緒にご紹介。
4月は、サルマン・ラシュディ『真夜中の子どもたち』でインド史に俄然興味が湧いたし、スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』には打ちのめされたし、ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』は息苦しかったし、スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』)はこれからも読み続けるし、やっぱりロベルト・ボラーニョ『売女の人殺し』)は好きだわ、私。
エンタメはマイケル・ロボサム『生か、死か』がオススメです。

⚫︎吸血鬼/佐藤亜紀
講談社

今年Twitter文学賞日本文学部門の第1位作品。
未読の作家さんということもあって何の予備知識もなく読み始めたが、何と舞台は19世紀のポーランド
オーストリア領となっている地方の村に新任の役人が年若い妻を伴い着任する。
村はいまだに古い因習に囚われており、死者が続くと墓を暴き首を刎ねるのだ。
背後にあるのはポーランド独立運動、社会構造の変化だろう。
最後まで読むと“吸血鬼”とは何をさすのかわかるようになっている。
正直少し読みにくかったが、ただこの独特の世界はクセになるのかもしれない。

吸血鬼

吸血鬼


⚫︎昏き目の暗殺者/マーガレット・アトウッッド
鴻巣友季子訳/早川書房
THE BLIND ASSASSIN/Margaret Atwood/2000

かつては地域随一の実業家一族として繁栄を極めたチェイス家。
時代と共に力を失っていった一家の長女アイリスは新興の大工場主リチャードと結婚。
アイリスの妹ローラは一冊の小説を残し若くして事故死する。
老齢のアイリスによる回想を新聞、雑誌の記事が補完し、ローラの小説「昏き目の殺人者」と小説内で男が女に語るSFストーリーが入れ子になっており、
ローラに一体何があったのか?今は独りで暮らしているらしいアイリスの過去に何があったのかが少しずつ明らかになっていくミステリー仕立てと言ってもいいだろう。
ローラは事故死だったのか?
ローラの小説出版までに何があったのか?
そこにはローラを十分理解してやることが出来ずに助けられなかったアイリスの後悔があった。
世間知らずで無力な若妻だったアイリスの復讐はなかなか痛快でした。
【ガーディアン紙の1000冊】

昏き目の暗殺者

昏き目の暗殺者



⚫︎黒い時計の旅/スティーヴ・エリクソン
柴田元幸訳/福武書店
TOURS OF THE BLACK CLOCK/1989

十代で家族と故郷を捨てた男バニング・ジェーンライト。
彼は長じて時の権力者ヒトラーの私設ポルノ作家となる。
ところが、バニングがロシア移民デーニアと出会ったことで20世紀は二つに切り裂かれる。
私たちがよく知るそれと、枢軸国側が勝利しヒトラーが生き延びたそれとに。
バニングとデーニアがそれぞれが生きる二つのパラレルワールドを行き来する(バニングは書くことでデーニアと繋がる)ストーリーとデーニアの息子マークの物語が絡まり何とも重層的。
エリクソンは『ゼロヴィル』に続き二作目だが、円環構造はここにも。

黒い時計の旅 (白水uブックス)

黒い時計の旅 (白水uブックス)


⚫︎真夜中の子どもたち/サルマン・ラシュディ
寺門泰彦訳/早川書房
MIDNIGHT'S CHILDREN/Salman Rushdie/1981

1947年8月15日インド独立の日に生まれたサリーム。
誰の人生であれ、それは国の歴史に大きく左右されるものだが、インド独立と共に生を受けたサリームほど国の歴史と深くコミットすることになる人物もいないだろう。
とは言え、物語はサリームの祖父アーダム・アジズの時代に遡り、上巻も半ばまできてようやくサリーム誕生。
そして、サリーム9歳の時特殊能力が目覚める。
彼を含め1947年8月15日午前12時から1時間の間に生まれた子供達にはすべて特殊能力が備わっていた。
サリームが持つテレパシー能力は周囲の思考の中に侵入出来るだけでなく、特殊能力を持つ他の子供たちは彼を通じて接触することが出来た。
後半、この子供達が大きく国の歴史を動かしていくのか?と思われたが、しかし、“子供たち”は歴史を動かすというよりもむしろ歴史に翻弄されていく。
ムスリムである一家パキスタンに移住し、
サリーム自身はパキスタン兵としてカシュミール、そしてダッカへと赴く。
姉妹の確執、サリーム出生の秘密、母親の裏切り。
これはある一族の盛衰の物語であり、サリームとシヴァ、同じ時に生を受けた二人の宿命の物語であり、同時にインド・パキスタンの近代史そのものでもあるのだろう。
【ガーディアン紙の1000冊】

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

真夜中の子供たち〈下〉 (Hayakawa Novels)

真夜中の子供たち〈下〉 (Hayakawa Novels)


⚫︎チェルノブイリの祈りー未来の物語/スベトラーナ・アレクシエービッチ
松本妙子訳/岩波書店岩波現代文庫
CHERNBYL'S PRAYER/Shetland Alexievich/1997

冒頭の消防士の妻の証言を読んでいて思い出したのは、東海村の臨界事故時の被害者に対する治療経過を追ったドキュメンタリーだ。
事故直後は何の外傷もないが時間経過に従って細胞が身体の内側から崩壊していく。
これ程残酷な死に方があるだろうか?とかなりショックだったのでよく覚えている。
勿論事故に至るまでにも多くの過ちがあったのだろうしかし、事故後の対応によってはもっと被害を減らすことも出来た筈だ。
原発はクリーンで安全」何処かで聞いたような話がここでも信じられていた。
情報不足や事実の隠蔽、無知が被害を拡大した。
これだけ大きな悲劇が起きながらも、この事故を教訓とすることが出来ずに“フクシマ”に至ってしまったことに対して何とも言いようのない悔しさを感じるなぜ、事故の可能性を自らのこととして考えることが出来なかったのだろう?
事故に運命を狂わされた多くの声なき声、これを無駄にしてはならない。

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)


⚫︎他人の顔/安部公房
/新潮社(新潮文庫

実験中の事故で残ったケロイド瘢痕によって“顔”を失った男。
事故後にギクシャクした妻との関係を再構築するために自ら“仮面”を作り“他人”として妻を誘惑しようとする。
「顔は人間同士の通路」男は仮面をつけることで妻との間に新たな通路を作ろうとする。
顔の傷は、周囲からの視線、周囲の人間との関係の変化ももたらすだろうが、それより以前に、自分がその“顔”を自分のものとしてどう受け容れるのか?受け容れることができるのか?が問題である。
彼は他人との関係以前に変わってしまった自分を受け容れることが出来ていなかったのだ。
【ガーディアン紙の1000冊】

他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)


⚫︎煽動者/ジェフリー・ディーヴァー
池田真紀子訳/文藝春秋
SOLITUDE CREEK/JEFFERY DEAVER/2015
キネシクスの専門家でCBI捜査官キャサリン・ダンスが活躍するシリーズの4作目。
今回彼女が追う犯人は、人が大勢集まる場所でパニックを起こし多数の死傷者を出させるという新手の手口を使う知能犯。
この手口、事前に防ぐのは難しいだろうし、模倣犯が実際に出たらと考えるとゾッとする。
恒例のどんでん返しについては、ズルい!と言いたくなるのはリンカーン・ライムシリーズ同様。
しかし、キャサリン含めお気に入りキャラがいない(あえて言えば、60年代文化をこよなく愛するT・Jが好きかも)のに一気読み必至のリーダビリティは見事。

煽動者

煽動者


⚫︎キャッチ=22/ジョーゼフ・ヘラー
飛田茂雄訳/早川書房
CATCH-22/Joseph Heller/1961

イタリア中部ピアノーサ島アメリカ空軍基地所属のヨッサリアン大尉の願いはただひとつ、生きのびること。
仮病や狂気を訴えあの手この手で飛行勤務の免除を勝ち取るべくジタバタするヨッサリアン。
しかし、そんな彼を嘲笑うかのように立ち塞がるのが、謎の軍規“キャッチ=22”。
気の狂った者はそれを願い出ねばならぬが、願い出ることの出来る者は正気である、ゆえに、飛行勤務を免除出来ない。
時系列もバラバラ、さも既に説明済みかのように触れられるエピソードは後々詳細が語られたりとこちらも混乱。一体何が正気で、何が狂気か?
確かにブラック・コメディではあるのだが、
読んでいるうちに次第に息苦しくなってくる。
功を焦る大佐によって次々に増やされる責任出撃回数を始め、戦場の若者たちを死へと追いやる“キャッチ=22”。
一体何の為か謎でしかないルーティンワーク、終わらない意味のない会議、隠蔽される公文書、不祥事だらけの内閣の何故か落ちない支持率etc…。現実の世界においてもキャッチ=22は私達を苦しめる。
そんな世界で私たちは、キャスカート大佐?従軍牧師?ヨッサリアン?それともオアのように?
一体どう生きるのか?それが今現代を生きる私たちに問われている。
【ガーディアン紙の1000冊】

キャッチ=22〔新版〕(上) (ハヤカワepi文庫 ヘ)

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キャッチ=22〔新版〕(下) (ハヤカワepi文庫 ヘ)

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👇マイク・ニコルズ監督による映画化作品はこちら。観たい!

キャッチ22 [DVD]

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⚫︎売女の人殺し/ロベルト・ボラーニョ
松本健二訳/白水社
PUTAS ASESINAS/Robert Bolaño/2001
「訳者あとがき」でも触れられているように、収録されている13編はボラーニョの分身(あるいはボラーニョ自身)が語り手になっているものとまったくのフィクションの二つに分けられるが、どちらも素晴らしかった!
歴史に名を残すこともなく消えていった人々、挫折や心の傷を負った人々に対する突き放すでもなく、かといって強く抱きしめるわけでもないセンチメンタル過ぎないボラーニョの距離のとりかたが私には心地いい。
お気に入りは「ゴメス・パラシオ」「ラロ・クーラの予見」(ポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』を思い出させる)「ブーバ」「歯医者」辺りですが、全部好き!
「ブーバ」の語り手であるアセベトやエレーラ、ブーバが活躍したサッカークラブはバルセロナがモデルだと思いますが、
小説の中でブーバがイタリアのユベントスに移籍した後両チームがチャンピオンリーグで対戦した時のスコア(ユベントスホーム3ー0でユベントスバルセロナホームでスコアレスドロー)が何と今シーズンの結果と同じ!
まあ、ただの偶然なんですけど。
(収録作品)
・目玉のシルバ
・ゴメス・パラシオ
・この世で最後の夕暮れ
・1978年の日々
・フランス、ベルギー放浪
・ラロ・クーラの予見
・売女の人殺し
・帰還
・ブーバ
・歯医者
・写真
・ダンスカード
エンリケ・リンとの邂逅

売女の人殺し (ボラーニョ・コレクション)

売女の人殺し (ボラーニョ・コレクション)


⚫︎特捜部Qー吊るされた少女ー/ユッシ・エーズラ・オールスン
吉田奈保子訳/早川書房ハヤカワ・ポケット・ミステリ
DEN GRÆNSELØSE/JUSSI ADLER-OLSEN/2014
TVドラマであれ映画であれ小説であれフィクションにはどうしても凝ったプロットを求めてしまいがちだが、現実の犯罪の殆どは金だったり痴情のもつれだったりありきたりの人間の欲が原因だ。
そう考えると特捜部Qの面々が最新作で追う事件はより現実的と言えるのかもしれない。
今作に登場する新興宗教のカリスマ教祖(導師)アトゥの人物像もリアルに感じた。(こういう人気者、貴方の周りにもいませんか?いかにも胡散臭いけど。)
モーデン、ミカ、イェスパまで家を離れ、ハーディと二人きりになったカールの私生活も気になるが、釘打ち機事件の真相を巡るハーディの動揺が心配。
映画版はカール、アサド、ローセの軽妙なやりとりがほとんどないので、やっぱり小説がいいなあ。ラクダ豆知識もあるし。。。

特捜部Q―吊された少女― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

特捜部Q―吊された少女― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)


⚫︎生か、死か/マイケル・ロボサム
越前敏弥訳/早川書房ハヤカワ・ポケット・ミステリ
LIFE OR DEATH/MICHAEL ROBOTHAM/2014

現金輸送車襲撃事件の共犯として10年の刑に服すオーディ・パーマー。
彼は服役中何度も命を狙われるが消えた700万ドルの行方については固く口を閉ざす。
そして出所前夜、オーディは脱獄する。
何故彼は出所前夜に脱獄したのか?
そもそも彼は何故襲撃事件に関わることになったのか?
この二つの謎がストーリーを牽引するのだが、とにかく主人公オーディをはじめ悪党にしかなれなかったオーディの兄カール、オーディのムショ仲間で彼の行方を追うモス、とびきり小柄だけどとびきり優秀なFBI捜査官デジレー等、キャラクター造形が抜群にいい!

生か、死か (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

生か、死か (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)


⚫︎年月日/閻連科
谷川毅訳/白水社
NIAN YUE RI/Yan Lianke/1997

一人また一人村を離れとうとう独り取り残された老人と犬。
というと、どうしても思い出すのがフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』で、“黄色い雨”が降り積もる中、孤独のうちに死を待つ老人の姿に胸を締め付けられた。
しかし両者が決定的に違うのは、雨乞いの儀式で目の見えなくなった犬メナシと先じいはあくまでも生き抜くため、“命をつなぐ”ために最後まで闘い続ける。
人気のなくなった村で逞しい鼠の群れ、水場を巡る狼との対峙など恐ろしくも美しい描写も心に残るが、
何よりも強烈に“生きること”の意味を痛感させられた。

年月日

年月日


⚫︎もう過去はいらない/ダニエル・フリードマン
野口百合子訳/東京創元社創元推理文庫
DON'T EVER LOOK BACK/Daniel Friedman/2014
メンフィス署の元刑事バック・シャッツ88歳!
前作で負傷しリハビリ中のバックは妻ローズと共に老人ホームに住まいを移している。
そこへ訪ねてきたのは78歳になったかつての仇敵銀行強盗のイライジャ。
彼は何故今頃になってバックの元を訪れ助けを求めてきたのか?
現在(2009年)と1965年を行き来してストーリーは進むが、現在の事件の鍵が昔の事件に隠されている構成がよく、最後まで一気に読ませる。
強制収容所の生き残りイライジャの社会に対する怨念と正義の為に働いてきた警官としてのバックの矜持のぶつかり合いが読みどころ。
悪人を刑務所にぶち込む為なら暴力も辞さないバック・シャッツのような父親の息子ブライアンも孫のテキーラもめちゃくちゃリベラルなのが面白い。

もう過去はいらない (創元推理文庫)

もう過去はいらない (創元推理文庫)

👇シリーズ一作目『もう年はとれない』はこちら

もう年はとれない (創元推理文庫)

もう年はとれない (創元推理文庫)

ムーンライト

月の光に少年は青く輝く


1. Little リトル

みんなからはリトルと呼ばれているシャロンは(時間的に不規則そうな勤務状況とユニフォームから察すると)看護師(あるいは看護助手)の母ポーラと二人暮らし。
ポーラは厳しい生活の中で余裕がないせいなのか、
それともドラッグの影響なのか、
シャロンに対して辛く当たることが多い。
蒸発したのか、服役中か、それとも死んだのかは不明だが、父親は不在。
おそらく、シャロンは父親の顔さえ知らないのだろう。部屋に写真もない。

いじめられっ子のシャロンは今日も追いかけられて治安の悪い地域の廃屋に逃げ込む。
そんなシャロンに手を差し伸べたのはドラッグディーラーのフアンだった。
シャロンの姿に自らの幼い頃を重ねたフアンは彼を自宅に連れ帰り食事をさせる。
ようやく名前は口にしたものの、どこに住んでいるのかなかなか言おうとしないシャロン
フアンとパートナーのテレサは無理に聞き出そうとはせずにその日はシャロンを家に泊める。
翌朝フアンはシャロンを送っていくが、
居合わせたポーラはシャロンを叱るだけ。
余計なことはするなとフアンに礼を言うことすらしない。
独りでいることが多いシャロンだが唯一の例外はケヴィンだ。
いじめられっ子の彼を気遣ってくれるケヴィンと一緒にいる時だけは子供らしい笑顔を見せるシャロン

ある日フアンが帰宅するとそこにはシャロンの姿があった。
フアンはシャロンに泳ぎを教える。

「じぶんの道は自分で決めろよ。
周りに決めさせるな」

月の光の下で黒人の少年の肌はブルーに輝いて見える。
かつてブルーと呼ばれたフアンは、シャロンにそう告げる。
キューバ系の生い立ち、厳しい家庭環境の中でドラッグディーラーという生き方を選ばざるを得なかったフアンはシャロンには自分と同じような生き方をさせたくはなかったのだ。

しかし、現実にはフアンはシャロンの母ポーラにドラッグを売っている。
「母親だろ?」とポーラを責めるフアン。

「ママに薬を売ってるの?」

シャロンにこう問われたフアンは否定することが出来ない。うなだれるフアンの手をそっと握るテレサ
そっとその場を立ち去るシャロン



2. Sharon シャロン

高校生になったシャロン
相変わらずイジメは続いている。
中でもドレッドヘアのテレムはシャロンの服装や歩き方までやり玉にあげて攻撃する。
鬱々とした学校生活の中で変わらずシャロンに接してくれるのは幼なじみのケヴィンだ。
ガールフレンドとのセックスの話をシャロンに振ってくるが、密かにケヴィンに恋するシャロンは複雑な心境だ。

家に帰っても更に状況は悪化している。
母ポーラはドラッグに溺れ、最早まともに仕事もしていないのか、住んでいる家もワンランク(いやツーランク?)下げ、室内も荒れた様子。
ドラッグが切れイラつくポーラは客が来るから家にいるなとシャロンを追い出す。
そんなシャロンの避難場所は相変わらずフアンの家だった。
テレサは変わらずシャロンを温かく迎える。
しかし、フアンはもうこの世にはいない。
職業柄おそらく殺されたのだろう。

家に帰りたくないくてビーチで独り海を眺めていたシャロンにケヴィンが声をかける。
マリファナを吸った二人はキスを交わす。
ケヴィンの手によってシャロンは射精に導かれる。
ケヴィンに受け容れられたと感じ満たされるシャロン

しかし、思わぬ事件が起きる。
テレムに要求されたケヴィンは断ることが出来ずにシャロンを殴ってしまう。

「倒れたままでいろ!」

祈るようなケヴィンの言葉にも耳を貸さず挑発するように何度殴られてもシャロンは立ち上がる。
立ち上がれなくなったシャロンをテレムと仲間が蹴りつける。
学校のセキュリティが駆けつけテレム達は逃げるが、校長に誰にやられたのか問われてもシャロンは頑としてくちを割らない。
翌日、意を決したような様子のシャロンは教室に入るなり、椅子でテレムを殴る。

警察に連行されるシャロンを見つめるケヴィン。

(これはあくまでも個人的な見方だが、ドレッドヘアのテレムが執拗にシャロン性的志向をイジメの対象にするのは、彼自身の中にも同性愛的志向があったからではないかと思う。
同性愛者をイジメることで、自らはそうではないと強調したいという無意識の行動ではないのか?
どんな人種のあれ、カミングアウトには心理的に高いハードルが存在するが、アフリカ系男性の場合、その共同体の中ではよりマッチョな男性像を求められそのハードルもより高い。
ケヴィンがシャロンに惹かれながらも女の子と関係を持ち、それをひけらかすように喋るのも、
テレムの要求を突っぱねることが出来なかったのも、
その辺りに理由がある気がする。)


3. Black ブラック

大人になったシャロン
マイアミを離れ、アトランタで暮らしている。
今ではブラックと呼ばれる彼に少年時代の面影はない。
鍛え上げられたその身体はまるで筋肉の鎧。
かつてのフアンのように多くの配下を束ねるタフなドラッグディーラーだ。
車のフロントにはフアンと同じオブジェが飾られている。
母ポーラは今では施設に入所し立ち直ろうと努力していた。
そんなある日、あの日以来、会うことも連絡するこちもなかったケヴィンから電話がかかってくる。
番号はテレサから聞いたと言う。
料理人になったというケヴィンは故郷に戻ってきた時には店に寄ってくれ。俺の作った料理を食べさせると言う。
突然の連絡に動揺するシャロン

施設に会いに行ったシャロン
必要な時に十分に愛情を注ぐことが出来なかった母ポーラは告げる。

「お前を愛している」

シャロンはその足で故郷マイアミへ向かう。



実際の映像に色を足して加工したという美しい映像。
3つの章で構成された詩的なストーリーは、
連作の短編小説を思わせる。
それぞれの章の間には描かれない空白の時間がある。
フアンの死の真相、ポーラの転落。
少年院の生活がシャロンをどう変えたのか?
ポーラの施設入所のいきさつ、
ケヴィンの結婚、服役。

「ポーラが、それぞれの間にどんな経験をしたのかを考えなければならなかった。
映画には出てこない部分の彼女についてね。
それぞれの章、彼女はとても変わっているでしょう?
それがどうしてなのか、その間に何があったのかを、
私はわかっていなければいけなかったの。」

ポーラを演じたナオミ・ハリスはインタビューでこう語っているが、映画では描かれなかった空白の時間に何があったのかを想像することは観客にも求められている。
そして、それを想像することでこの物語をより深いものとして受けとめることが出来のだと思う。

マハーシャラ・アリが演じたフアンは最初のパートにしか登場せず、史上最も短い出演時間でオスカーを獲得したことで話題になった。
しかし、彼の“不在”がその後にストーリーにも存在している。
フアンが生きていれば、
シャロンは事件を起こさなかったかもしれないし、
ファンが生きていれば、
シャロンに自分と同じ道は歩ませなかっただろう。
かつてブルーと呼ばれたフアン。
そのブルーが全編の基調になっているように、
彼はこのストーリーにずっと存在している。

全編アフリカ系(あるいはキューバ系)のキャラクターしか登場しないし、主人公は性的マイノリティでもあるが、そういう側面だけでこの映画を観れば本質を見誤るだろうし、何より残念なことだと思う。
マイアミの貧困地域の暮らしや性的マイノリティの人々が自分の置かれた環境といかに違うとはいえ、人間はその距離を想像力で埋めることができるはずだ。
イジメはどんな社会にも存在するし、
自分の居場所が見つからなかったり、
自分の思いを素直に伝えられなかったり、
自分ではどうすることも出来ない力で選ぶ道を狭められてしまったりすることは、
どんな状況、環境に生きていても起きうること。
そして、これは何よりもラブストーリーなのだ。

アトランタからマイアミまで。
映像ではあっという間に到着したように見えたが、
アトランターマイアミ間はざっと980キロ
この距離をたった1本の電話で車を飛ばす!
これが恋でなくて、愛でなくて、何だろう?

シャロンは男性だからケヴィンを愛したのではない。
ケヴィンだから愛したのだ。

=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=
⚫︎ムーンライト/Mionlight
(2016 アメリカ)
監督・脚本:バリー・ジェンキンズ
原案:タレル・アルヴィン・マクレイニー
「In Moonlight Black Boy Look Blue」
撮影:ジェームズ・ラクストン
編集:ナット・サンダース,ジョイ・マクミリオン
美術:ハンナ・ビークラー
音楽:ニコラス・ブリテル
出演:トレヴァンテ・ローズアンドレ・ホーランド,アッシュトン・サンダース,ジャハール・ジェローム,アレックス・ヒバート,ジェイデン・ピナール,マハーシャラ・アリジャネール・モネイナオミ・ハリス

シャロンを演じた3人の俳優もケヴィンを演じた3人も正直全然似ていない。
「この子の成長した姿はこれです」という意味では全く説得力のないルックスだが、
見ているうちに3人ともシャロンで、
3人ともケヴィンに見えてくる。
撮影にあたって3人にはそれぞれ他の2人がどう演じたかは見せなかったそうだが、
全く違う外見なのに、
ちゃんとシャロンが、ケヴィンがそこにいた。
シャロンについては同じ目をした俳優をキャスティングしたそうだが、ここはやはりバリー・ジェンキンスの演出の力を褒めるべきだろう。


原作戯曲のタイトルは『In Moonlight Black Boy Look Blue』。
月明かりに黒人少年の肌は青く輝いて見える。
これは、とかく差別の対象となる肌の色は美しいものなんだというアフリカ系の誇りを示すもの。
映画全編を通じてこのブルーが基調色となっている。
衣装、ファンの乗る車、ソファ、シャワーカーテンに至るまで意識的に使われている。



自らの少年時代をシャロンに重ね、庇護者たろうとするドラッグディーラー、フアンを演じたのは、マハーシャラ・アリ
『4400未知からの生還者』では空軍パイロット、『ハウス・オブ・カード 野望の階段』ではエネルギー業界のロビイストと、どちらかと言えばインテリっぽい役柄の印象が強かったが、その歩き方、運転の仕方からドラッグディーラーになりきっていた。


フアンがシャロンに泳ぎを教えるこのシーン。
シャロン役のアレックス・ヒバートはそれまで泳ぎ方を教わったことがなかったそうで(地元マイアミっ子!)、この時が初泳ぎとなったそう。





ビザやスケジュールの問題でたった3日間しか撮影に参加できなかったナオミ・ハリス
その3日間で、異なる年代の母ポーラを演じた。



フアンの妻で彼亡き後もシャロンを温かく見守り続けるテレサを演じるジャネール・モネイはソウル、R&Bのシンガーソングライター。
今作と共にアカデミー賞作品賞にノミネートされた『Hidden Figures』(現時点で日本公開は未定。是非とも公開を!)にも出演している。
ちなみに彼女のヒット曲『Tightrope 』のPVはこちら👉Janelle Monáe - Tightrope [feat. Big Boi] (Video) - YouTube




シャロンを(というよりこの作品全体を)最後に優しく受けとめる大人になったケヴィンを演じたのはアンドレホランド
第1章ではマハーシャラ・アリが、最後の章ではこの人が作品を引き締めていて、マハーシャラ・アリと共に今作の功労者と言えるのではないかと思う。
今作と同じPLAN B(ブラッド・ピット創立)製作の『グローリー/明日への行進』(『Selma』)にも重要な役どころで出演している。



シャロンを演じた3人。
とんだハプニングに見舞われたものの、アカデミー賞では、作品賞、脚色賞、助演男優賞の3部門で受賞。



幸運にもアカデミー賞授賞式前日に試写で鑑賞。
配給のファントム・フィルムさんからは
内容充実の素晴らしいパンフレットまで頂きましたよ♪
興行に協力すべく映画館で二度目の鑑賞。
最初から泣いてた。


公式サイトはこちら👉映画『ムーンライト』公式サイト

予告編はこちら👉アカデミー賞候補作!『ムーンライト』本国予告編 - YouTube

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👇『ムーンライト』DVD、Blu-rayはこちら

ムーンライト スタンダード・エディション [Blu-ray]

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👇登場人物にそっと寄り添うようなオリジナル・スコアも素晴らしかったが、ケヴィンの告白となるBarbara Lewisの『Hello Starsnger』やシャロンがマイアミに戻るシーンで使われていたCaetano Velosoの『Cucurrucucú Paloma』など既成曲の選曲もナイス!
ちなみにCaetano Velosoのこの曲はペドロ・アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』でも使われていた。
ニコラス・ブリテルによるサウンドトラックはこちら

ムーンライト

ムーンライト

👇PLAN B製作でケヴィン役アンドレホランドが出演している『グローリー/明日への行進』のDVDはこちら今作の監督のエヴァ・デュヴァネイは今年『13th』で長編ドキュメンタリー部門でアカデミー賞にノミネートされていた。

グローリー/明日への行進 [DVD]

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今月の読書 〜2017年2月〜

いつもより短い月にもかかわらずなかなかいいペースで積読本を消化できた2月。
内容的にも、ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』、
スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』、エドゥアルド・ハルフォン『ポーランドのボクサー』
の三冊は年間ベスト級の素晴らしさで充実の読書時間を過ごすことが出来た。
『プリズン・ブック・クラブ』の選書、スティーヴン・ギャロウェイの『サラエボチェリストも忘れ難い。


⚫︎アルヴァとイルヴァ/エドワード・ケアリー
古屋美登里 訳/文藝春秋
ALVA &IRVA/EDWARD CAREY/2003

架空の国の架空の街エントラーラ。
大きな災厄に見舞われた街の存亡の危機を救ったアルヴァとイルヴァの双子の姉妹。
大きく変わってしまった街の姿と双子の作った模型に宿る街の記憶。
双子が(結果的に)その生涯をかけてプラスチック粘土で作る街の模型、祖父の作るマッチ棒細工の建物、双子にのっぽの遺伝子を遺した父親が愛した外国の切手など、いかにもエドワード・ケアリーらしい道具立ての魅力は勿論だが、
基本的にはアルヴァとイルヴァ、姉妹の成長譚だ。
より近い存在であるが故のお互いから自由になりたいという反発は必然だったのかもしれない。
エドワード・ケアリーは(読んでないだろうけど)、
宮沢賢治が好きだと思う。

アルヴァとイルヴァ

アルヴァとイルヴァ


⚫︎サラエボチェリスト/スティーヴン・ギャロウェイ
佐々木信雄 訳/ランダムハウス講談社
THE CELLIST OF SARAJEVO/2008

1992年包囲されたサラエボの街でパンを買うための行列に撃ち込まれた砲弾によって22名の人々が犠牲になった。
その翌日から現場で22日間鎮魂のためにチェロを弾き続けたチェリストがいた。
サラエボチェリスト”ことヴェドラン・スマイロヴィッチを検索したら出てきた写真の神々しい姿に俄然興味をかきたてられた。
物語の登場人物は、彼を敵方のスナイパーから守る凄腕の女スナイパーアロー、家族の為に水汲みに向かうケナン、妻子を国外へ逃し自身は妹家族と暮らすドラガン。
かつて人々が行き交った通りは命懸けで渡る“スナイパー通り”となり、人々が集った広場は砲撃の標的となった。
いつ自分自身も犠牲になるのかわからない状況下でこの地にとどまることを選んだケナンとドラガン。
そして戦うことを選んだアロー。
想像を絶する状況の中でも人間として“守るべきもの”を失うまいとする三人の姿に胸をうたれる。
当時ニュースや新聞報道で旧ユーゴ、サラエボの状況については多少知っていたはずだが、
果たしてそれは十分だっただろうか?
たかが極東の国の無力な個人が何か知ったところでどうにかなるわけでもないが、
それでも犠牲者や厳しい暮らしを強いられた人々に思いを寄せることが出来なかったことに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
『プリズン・ブック・クラブ』の選書からの一冊。

サラエボのチェリスト

サラエボのチェリスト


⚫︎アウシュヴィッツの図書係/アントニオ・G・イトゥルベ
小原京子 訳/集英社
LA BIBLIOTECARIA DE AUSCHWITZ/Antonio G Iturbe/2012

絶滅収容所とも言われたアウシュヴィッツ強制収容所
そこには小さな子供たちの“学校”があった。
学校の“図書係”はチェコユダヤ人の13歳の少女ディダ。
しかし、図書といっても本はたったの8冊。
その中にはディダには読めないロシア語の文法の本やフランス語の小説もあった。
図書係の仕事は1日の授業が終わった後に本を無事に隠すこと。
毎日弱った囚人の遺体がバラックから運び出され、“選別”された人々がガス室へ送られる。
まさにこの世の地獄で、束の間子供たちに笑顔をもたらし、大人に正気を保たせたのが学校であり、本だった。
ホロコーストの歴史の中でもあまり知られていない事実(だと思う)なので、後世に伝えるという意味は大きい。
しかし、小説としての完成度には疑問符がつく。
複数の登場人物の視点でストーリーが進んでいく小説はたくさんあるが、それがお世辞にも巧くいったとは思えない。

アウシュヴィッツの図書係

アウシュヴィッツの図書係


⚫︎ホワイト・ジャズ/ジェイムズ・エルロイ
佐々田雅子/文春文庫/文藝春秋
White Jazz/James Ellroy/1992

《暗黒のL.A.四部作》再読中。
アンダーワールドU.S.A.三部作にも引き継がれる)極端に説明を排した短い電文調、新聞、雑誌の記事で事実を伝えるスタイルは今作で完成された印象。
これまでの三作以上に登場人物は悪党揃い。
猛スピードで走り出したかと思えば、
急ブレーキで止まりUターンといった感じの狂いっぷり。
天使の街L.A.ならぬ、犯罪都市L.A.。
政治、権力、金、ドラッグ、愛、全てが絡み合って誰もが身動き出来ずにもがいている。
生き残るためには無垢ではいられない。
誰もが罪人。
今作も映画化構想中という話は随分前に聞いた気がするが、IMDbで確認したら
今だステータスは“構想中”。

新装版 ホワイト・ジャズ (文春文庫)

新装版 ホワイト・ジャズ (文春文庫)


⚫︎運のいい日/バリー・ライガ
満園真木 訳/創元推理文庫東京創元社
LUCKY DAY AND OTHER STORIES/Barry Lyga/2014

《さよなら、シリアルキラー》三部作の前日譚。
収録の四編はそれぞれジャズ、ハウイー、コニー、
保安官G・ウィリアムが主人公になっている。
シリーズの読者はこの後の怒涛の展開を知っているだけに少し切ない。
ジャズの親友ハウイーが主人公なのは「ハロウィン・パーティー」。
血友病のハウイーにとって身体の痣は背負った運命の重さそのものだが、この日、ハウイーの身体に残された痣を彼はこの先ずっと甘い記憶と共に思い出すに違いない。
連続殺人鬼ビリー・デント逮捕の経緯を描く「運のいい日」。
G・ウィリアムがビリーを逮捕出来たのは、偶然でも運がよかったのでもなく、彼が保安官として優秀だったからだ。
(収録作品)
・将来なりたいもの
・ハロウィン・パーティー
・仮面
・運のいい日

運のいい日 (創元推理文庫)

運のいい日 (創元推理文庫)


⚫︎ペドロ・パラモ/ファン・ルルフォ
杉山晃増田義郎 訳/岩波文庫岩波書店
PEDRO PÁRAMO/Juan Rulfo /1955

ペドロ・パラモ。
母から知らされたその名だけで顔も知らない父親を訪ねてファン・プレシアドはかつて母が暮らした町コマラを目指す。
しかし、そこは亡霊のささめきに満ちた死者たちの町だった。
生者と死者、この世とあの世の境界線上をファンも我々もさまよい歩く。
現在と過去、あの世とこの世を行き来しつつ、ペドロ・パラモの生涯、そしてコマラの町の栄枯盛衰を知ることになる。
ラテンアメリカ文学の最高峰として共にその名を挙げられるガルシア=マルケスの『百年の孤独』。
ファン・ルルフォとガルシア=マルケス
二人の描きたかった世界にそう違いはなかったのかもしれない。
作品自体が円環構造になっていることもあるが、
続けてもう一度読まずにはいられなかった。
二度目は人物相関図をメモしながら読みました。

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)


⚫︎ポーランドのボクサー/エドゥアルド・ハルフォン
松本健二 訳/白水社
EL BOXEADOR POLACO, LA PIRUETA, and MONASTERIO/Eduardo Halfon/2008, 2010,2014

父方、母方双方にユダヤ系のルーツを持ち、
グアテマラに生まれ、アメリカで教育を受け、
スペイン語で小説を書くグアテマラ人作家エドゥアルド・ハルフォン。
ユダヤ教ユダヤ人としてのルーツに対する彼の距離のとりかたとシンクロするのかもしれないが、
オートフィクションという彼の小説のスタイル、現実からフィクションへの過程で生じる距離感が絶妙。
若き詩人ファン・カレル、まるで本人のようなマーク・トゥエイン研究者ジョークルップ、ルーツに帰るセルビア人ピアニスト、ミラン・ラキッチ、登場人物もとても魅力的で忘れがたい。
一度通して読んで、二度目は三冊の原書の順序でエドゥアルド・ハルフォン版『石蹴り遊び』を堪能した。
どちらの順序で読んでも素晴らしかった!

(収録作品)
・彼方の/「ポーランドのボクサー」
・トウェインしながら/「ポーランドのボクサー」
・エピストロフィー/「ピルエット」第二章
・テルアビブは竃のような暑さだった/「修道院」第一章
・白い煙/「修道院」第二章
ポーランドのボクサー/「ポーランドのボクサー」
・絵葉書/「ピルエット」第三章
・幽霊/「ピルエット」第一章
・ピルエット/「ピルエット」第四章
・ボヴォア講演/「ポーランドのボクサー」
・さまざまな日没/「修道院」第三章
修道院/「修道院」第四章

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)


⚫︎ゼロヴィル/スティーヴ・エリクソン
柴田元幸 訳/白水社
ZEROVILLE/STEVE ERICKSON/2007

1969年夏フィラデルフィアから映画の都ハリウッドに出てきたのはスキンヘッドにM・クリフトとE・テイラー(『陽のあたる場所』)の刺青という青年ヴィカー。
映画を愛し、その知識については人並外れたヴィカーだったが映画以外の事となるとお子様並みの正に“映画自閉症”。
セットの建築から始めて編集へと映画業界に居場所を確保していくのだが、彼には彼自身気付いていない使命があった。
映画=人生のヴィカーが最終的に編集という仕事にやりがいを見出していくのが興味深いし、
69年から84年という時代設定も絶妙。
ベトナムウォーターゲートレーガン
そして本物の『裁かるゝジャンヌ』の発見等、
史実を巧く取り込んでいる。
ざっと数えて200本近い映画が言及されているのが本作のひとつの特徴だが、(勿論私も全部は観ていないが)、未見のものも観ているものも(もう一度)観たくなること必至!
久しぶりに完徹して読了。
主人公ヴィカーのエキセントリックさが目立つが、
ヴィカーの家に泥棒に入るアフロヘアの黒人の男、
カンヌでヴィカーの元に送り込まれる高級コール・ガール“マリア”、フランコ政権下の反政府活動家クーパー・ルイスといった映画愛あふれる脇キャラクターも魅力的。
登場する実在の人物の中でも重要なキャラクターがヴィカーの良き理解者となるヴァイキング・マン。
彼のモデルは映画監督のジョン・ミリアス
彼は『ビッグ・リボウスキ』でジョン・グッドマンが演じたキャラクターのモデルにもなっている。


上がジョン・ミリアス、下が『ビッグ・リボウスキ』のジョン・グッドマン

ゼロヴィル

ゼロヴィル

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⚫︎ベル・カント/アン・パチェット
BEL CANTO/Ann Patchett/2001

南米某国の副大統領公邸で日本のある有名企業社長の誕生パーティーが催される。
ところが、特別ゲストの有名ソプラノ歌手ロクサーヌ・コスが歌い終えた時、照明が消え邸内に侵入したテロリストグループに占拠されてしまう。
96年ペルーの日本大使公邸占拠事件がモデルになっており、実際の事件同様事件解決まで4カ月以上を要している。
テロリストと人質、この奇妙な共同生活の中で重要な役割を果たすのが“音楽”であり、ロクサーヌの歌声は緊張を緩和し、邸内のパワーバランスも動かす。
そして、それぞれがそれぞれの人生に向き合うことになる。
事件の結末は最初から見えてはいるが、
やはり痛ましいのは、リーダー三名を除くテロリストたちの若さ、幼さであって、彼らが反政府活動に身を投ぜざるを得なかった現実が重くのしかかる。
2002年のPEN/フォークナー賞受賞作。この小説を手にとったきっかけも実はこの賞で、ある海外ドラマを観ていたら主人公の作家が賞の候補になっていて結果を待っている時に「ジョナサン・フランゼンの『コレクションズ』が獲るべきだった!」と熱弁をふるうシーンがあったからだった。
個人的意見だが、私もこの作家(というよりこのドラマの脚本家)に賛成。
最後まで一気に読者を引っ張っていく力はあるけれど、
大統領のパーティー欠席の理由(テロリストの目的は大統領の誘拐だったのです)がお気に入りのドラマが観たかったとかいうしょうもないものだったり、エピローグの展開も唐突で。

ベル・カント

ベル・カント


⚫︎ペーパーボーイ/ヴィンス・ヴォーター
原田勝 訳/岩波書店
PAPER BOY/Vince Vawter/2013

1959年メンフィス。
おじいちゃんの農場へ行った親友の代わりに1ヶ月新聞配達をすることになった11歳の少年。
吃音症の彼にとって最大のハードルは金曜の集金の日。
知らない人と話すことは彼にとって何よりも苦手なことなのだ。
しかし、この新たな冒険が彼を大きく成長させる。
大人の世界に一歩足を踏み入れた彼は、もう知らないふり、見えないふりは出来ない。
マームがバスの後部座席に座らなくちゃいけない理由も、ワージントン夫人の涙の理由も。
でも、自分の気持ちを伝えるってことは、
吃音症の彼でなくても誰にとっても難しいよね。

ペーパーボーイ (STAMP BOOKS)

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⚫︎この世界の片隅にこうの史代
アクションコミックス/双葉社

「読んでから観るか?観てから読むか?」
これは常に悩ましい問題だが、この作品に関しては、原作のファンが映画を観ても、映画のファンが原作を読んでも、がっかりすることはない(だろう)という稀有な作品だと思う。
もちろん原作では、映画でちょっと疑問だった部分や、描かれなかったりんさんのエピソードなど、映画を補完してくれるのも確か。
しかし、映画を観終わった時も、原作を読み終わった時も胸に溢れてくる思いは同じだったし、映画でそこを再現できたことも素晴らしかったと思う。
架空の存在であるはずのすずさんに私たちが親近感を感じたように、厳しい状況の中でも今も世界の何処かで家族や大切の人のために心を砕く人がいることに思いを馳せたい。
それが、こうの史代さんの願いでもあると思う。


⚫︎結婚式のメンバー/カーソン・マッカラーズ
村上春樹新潮文庫/新潮社
THE MEMBER IF THE WEDDING/Carson McCullers /1946

兄の結婚という人生に初めて訪れた変化、思春期の入り口という年頃。広い世界への憧れ。
ぐんぐん伸び続ける身長を持て余すフランキーの頭の中には、いろいろな思いや考えがぐるぐる渦巻いていて、どうしたらこの状況から抜け出せるのか出口が見つからない。
混乱状態の彼女を受け止めるのが、家政婦のベレニスとまだ幼い従弟のジョン・ヘンリーというのが面白い。
ベレニスはフランキーを愛しているがもちろん母親とは違う。
この絶妙な距離感がフランキーを素直にさせている。家族に限りなく近いこの関係は『ペーパー・ボーイ』にも共通している。
訳者の村上春樹の読後感は『たけくらべ』だったそうだが、私が思い出したのは、サリンジャーの『フラニーとゾーイ』だった。

結婚式のメンバー (新潮文庫)

結婚式のメンバー (新潮文庫)

たかが世界の終わり

彼の不在の意味


物憂げな表情で機上の人となった男。
彼、ルイとって、12年ぶりに里帰りだ。
帰郷の目的は、
自分の死期が近いことを家族に伝えること。

実家へは時折旅先から送る絵葉書くらいで一度も帰らなかったルイは、その間に劇作家として成功した。
内心家族も突然の帰郷に戸惑いはあるのだろうが、
とりあえず母マルティーヌは息子の好物をテーブルに並べ、ルイが家を出た時にまだ子どもだった妹シュザンヌは慣れないお洒落をし無邪気に兄の里帰りを喜んでいるように見える。
兄アントワーヌの妻カトリーヌとは初対面。
ルイは兄の結婚式にも戻らなかったのだ。
アントワーヌのルイに対する態度は素っ気ない。
ぎこちない雰囲気の中で食事は進むが、
ルイは肝心な話をなかなか切り出すことが出来ない。


12年もの不在の後にルイが家族にもたらそうとしているのは、自分がもうすぐ死ぬという知らせ。
彼は家族にどんな反応を期待していたのか?
その後どうするつもりだったのだろう?

12年前、ルイは何故家を出たのか?
それは、彼の性的嗜好のせいだったのか?
それとも劇作家になるために都会に出る必要があったのか?
それは明示されていない。
すんなり送り出されたのではない。
家を出るにあたってはすったもんだあった筈で、家には帰りにくかったのだろう。
今までは、劇作家として成功することが優先で、
家族をかえりみる余裕がなかったのかもしれない。
はっきりしているのは、自分が不在の期間、
彼は家族がどんな思いでいたのか考えが及んでいないということ。
そして、今また家族に爆弾を落とそうとしている。

(不在の理由は明かされないが)父親不在の家庭において次男の不在は長男に対する責任が増すことを意味するし、アントワーヌには全てを自分に押しつけて成功した弟へのやっかみも引け目もある。
母親と二人暮しとなった妹は都会への憧れがあってもそれをなかなか言い出せない。
ルイがそばにいれば、
せめてもっと密に連絡を取り合っていれば相談できることだってあっただろうに、
兄は家族と距離を置いていた。

12年ぶりの帰郷でルイが目の当たりにしたのは、
彼の不在が家族にどんな影響を与えたのかということだ。
それが如何に大きいものだったのかを思い知らされ、
彼は言葉を失ってしまう。

母マルティーヌの愛情は何があっても不変。
兄アントワーヌのルイに対する複雑な思いも弟を愛すればこそ。
12年家に帰らなかったルイにしても家族に対する愛情がないわけではない。
甘えられる家族だからこそ、
彼は自分の死期が近いことを告げに帰って来たのだ。
しかし、彼がそこで直面したのは自らの不在の大きさだった。

たとえ家族でも愛を形にすることは難しい。
愛していてもそれがうまく伝えられない。

結局、自らの死を家族に伝えられなかったルイ。
しかし、
ずっと家族に愛されていたことは分かったはずだ。

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⚫︎たかが世界の終わり/Juste la fin du monde/It's just end of the world
(2016 カナダ/フランス)
監督・脚本:グザヴィエ・ドラン
原作:ジャン=リュック・ラガルス
音楽:ガブリエル・ヤレド
出演:ギャスパー・ウリエル,レア・セドゥ,マリオン・コティヤールヴァンサン・カッセル,ナタリー・バイ



舞台こそホームグラウンドのカナダだが、
この豪華キャスト!
グザヴィエ・ドランの新作に対して期待はもちろんだが、一抹の不安があったことも確か。
しかしそれはまったくの杞憂だった。
世界的に著名なキャスト、それも一番若いキャストのレア・セドゥでさえ監督よりも年上という中で、主役ながら極端にセリフの少ない“受け”の演技が冴えたギャスパー・ウリエルをはじめ、しっかりそれぞれの新たな魅力を引き出していた。
特に成功した弟に複雑な思いを抱える兄アントワーヌとその妻カトリーヌを演じたヴァンサン・カッセルマリオン・コティヤールは今までの作品では見たことのない新たな面を見せてくれた。
グザヴィエ・ドランの最新作は初の英語劇で、ジェシカ・チャスティン、ナタリー・ポートマンスーザン・サランドンジェイコブ・トレンブレイ共演の
『The death and life of John F. Donovan』。
もう期待しかない!



夫との関係も上手くいっているようには見えないカトリーヌ(劇中明らかにはされないが夫アントワーヌに暴力を受けているのかもしれない)。
日頃から夫の弟に対する複雑な思いには気づいていたはずだが、嫁の立場としてどこまで立ち入ればいいのか複雑な立ち位置だが、マリオン・コティヤールはその辺りを巧く演じていた。
私は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(監督:吉田大八)の永作博美を思い出しました。



弟ルイに対して遂に感情を爆発させるアントワーヌ。ヴァンサン・カッセルはクセのある役を演じることが多く、こんなに普通の男を演じているのを観るのは初めてかも。



ナタリー・バイの母親役は、
『わたしはロランス』に続き二作目。
『わたしはロランス』の母親とは息子に対する距離感も違うのだが、たとえ彼を理解出来なくても息子に対する愛情は変わらないという力強い母親像は共通していたように思う。
いつか監督グザヴィエ・ドラン自身との親子役も見てみたい!




昨年12月、試写会にて鑑賞。
ゲストとして登壇したギャスパー・ウリエルは思わず見惚れるイケメンぶり!
何より好印象だったのは、
質問ひとつひとつに対して丁寧に答える真摯な姿勢でした。

公式サイトはこちら👉映画『たかが世界の終わり』公式サイト

予告編はこちら👉『たかが世界の終わり』本予告 - YouTube

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